うみゆり日記(新)

錦見映理子の日記です

一週間経った

今春以来、コロナとラジオの週一出演と家族の緊急事態と初めての書き下ろしが重なり、それらに同時に対処していくことが本当に精神的にきつい日々。先週はついに、人と話すのも嫌、という状態になった。Twitterで、自分のことをよく知らない人から雑に話しかけられるのにうんざり。「理解できない人は下がって」という言葉が頭に何度も浮かんだ(中澤系さんの一首「3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって」から)。もう通知切ったから大丈夫だけど。いま、対応可能キャパシティはかなり近しい関係の一名くらいです(笑)。

私は数年前から、小説を書いている最中しか幸福を感じることができない病気にかかっている。それは、うまく書けないと不幸が極まるということでもあり、要するに今、幸福な状態になるための時間がまとまってキープできなくて不幸なんだと思う。まあ、うまく書けないなんてことは別に今に始まったことじゃないんだけど。

コロナで不安だということが相当大きいだろう。そんなときに、自分にとって文学上特別な存在だった方が亡くなった。どのように特別かということは、複雑すぎてまだ書けないし、書けるとしてもネットには書きたくない。

 

近況も知っていたし、心構えはずっと出来ていたはずだったが、でも実際にそうなると、予想とはだいぶ違う心境になる。それは塚本邦雄が亡くなったときに初めてわかったことで、河野裕子さんのときにも、新聞を握りしめて泣いたことに自分でびっくりしたことも含めて諸々予想外の反応があったが、今回はこれまでとは距離感が全く違って相当近いといえば近く、遠いといえば遠い、どう言えばいいか説明できない存在で、対外的には「岡井隆に師事」とプロフに書く事もある昨今だったけれど、そう書いて本当にいいのかわからない気もしていて(遠く師事、みたいなイメージを自分では持っている。私淑、と言えばいいのかな。でも一応未来の岡井欄だからやはり師事でいいのかな。そのあたりが自分は複雑)、書けば書くほどこのように混乱していく。予想以上に大変堪えている現在。今さらの後悔や、逆に間に合って良かったことなど。

ともかく今言えることは、肉体の死は同時代に生きる者にとって重い。そして今回は自分にとって特別な存在であったことも含めて、ここに思い出さえ記すことはできない。ましてTwitterになんか書きたくない。

Twitterはしばらくお休みします。ここはたまに更新すると思います。SNSにはシェアされるようにしておくので、どの日のブログも拡散は自由にしていただいて結構です。

よく考えると、友だちの近況や好きな人の情報をとるために開いてるのに、見たくもない言葉が勝手に目に入って来るTwitterって、相当暴力的。今の私にはやはりブログがちょうどいいみたいです。