今日からしばらく、できるだけブログを更新したいと思います。
3月ごろからずっとブログを書きたいと思っていて。というのも、まずはお知らせがいくつかあったからです。
Xやインスタではお知らせしていましたが、1月に新潮文庫から出た、恋と食をテーマにしたアンソロジー『いただきますは、ふたりで』に短編小説「くちうつし」を入れていただきました。
好評のようでうれしい限り。以前「小説新潮」に寄せたものを、少しだけ直して収めました。
次に、4月に出たこちらの雑誌の、「作家と編集者」という特集に短編「邪悪な香り」を寄せました。
紙魚の手帖 vol.22 APRIL 2025 - |東京創元社
kindleでも読めます。
上記の2編は私の中ではうっすらつながっています。なのでどちらか読んで気に入って下さった方は、もう一編もぜひお読みいただけたら幸いです。
「邪悪な香り」の方は、初めて男性の一人称、しかも書簡文体で書きました。かなりキモくてこわいという感想をいただいていますが、書きながら私もそう思ってた…。でも超面白いはずなのでぜひ。面白いっていうかやばいっていうか。
不快な人もいるはずだけど、これを不快と思うか別に大丈夫と思うかでその人自身の倫理観がわかってしまうかもしれない。書きながら、こんなの書けてしまう自分はやばいんだろうなと思ったりもしました。自分の邪悪さに向き合った。
私は基本的には芸術至上主義者なのだろうな。『リトルガールズ』にもくっきりそれは現れているけれど、その悪はあれには書かれていなかった。そのことがずっと気になっていたので、これはその悪についてやっと書けたと言えるのかもしれません。
ジャニーズ問題で考えたことや、新聞の、トー横キッズを保護してるつもりで性犯罪をおかしているおじさんのインタビュー記事を読んだことなども、色濃く反映されているかもしれません。
これを書いたことで、自分の書き方が少しだけわかったところもありました。
意識上で設定したテーマより、こうして自分の無意識に深く刻まれているテーマがどうしても浮上してくること。だから箱書きや人物設定しても、まるで違うものになったりすること。
考えた通りにならなくても心配しなくていい、まるで違う結果になったとしてもそれまで意識上で考えたことが無駄なわけではない。ということがわかって、安心した。
要するに、できない気がしても諦めなければ絶対にできるってことです。それがはっきりわかりました。今まで、自分に書けるのかどこかずっと疑っているところがあったから。自分で自分の足を引っ張っているようなところが。
というわけで、上記2編をどうか宜しくお願いします。
長くなったので今日はこんなところで。どうしてブログ書くことにしたのかとか、今年の私の激動の日々(他人には大したことではない)については少しずつ、これから書いていきます。あまり推敲せずさっと書いてどんどん更新していくので気軽に斜め読みしてください。