我はいかにして菊池風磨にはまったのか
北海道に行ってきた。
timeleszのライブの遠征で。全国アリーナツアーの全日程に申し込んだ結果、真駒内初日だけ当たったのだ。
札幌駅はまるで見覚えのない場所に変貌していた。札幌には子どもの頃に住んでいて、二十歳くらいまで父が時々単身赴任していた縁でしょっちゅう行き来しており、若い頃は故郷のように思っていたのだが、それから三十年以上来ていなかった。きょろきょろしながら大きな駅構内を出ると、そこに懐かしいエスタの看板が見えた。
札幌の駅ビルだったエスタはかつて父がつくったもので(会社の命令だからもちろん一人でやったわけではない)、子どもながら大変な努力と苦労をしている様子をみていた。アパートの玄関脇の納戸に引きこもって設計図を見ていた姿も覚えている。そのエスタが、駅を出たらまだあった。去年役目を終えて取り壊されると聞いていたから、まさかまだあるとは思っておらず、嬉しくてたくさん写真を撮り、そのまま大通公園に向かって、すすきのまで歩いて行った。三十年経っても土地勘はあり、地図を見ずとも歩けた。
きわみさんにゆかりのある方とその晩は食事をご一緒した。ちゃんとお話するのは初めてだったのにどこか懐かしく、折々はっとするほど似ていて、きわみさんならきっと言うだろう言葉を、その方からいただいた。涙がこみあげて顔を伏せ、見上げたらその方も泣いていた。
ホテルに帰り、翌日のライブの準備をした。ドルオタ歴はそれなりに長くライブにも慣れているのだが、「ファンサうちわ」なるものを持つのが基本らしいスタエンアイドルのライブは初めてだし、自分が慣れている女性アイドル現場とはだいぶ違うだろうな、と不安もありつつ、ぐっすり寝た。
*
当日は、インスタで繋がっていたSさんにお昼からつきあっていただいた。Sさんのことは、私がNHKラジオで山戸結希さんをゲストにお迎えしてJーPOPの歌詞分析をするコーナーをやった際に、すごく印象的な感想をSNSに書いて下さって認識した。映画の趣味が合う人としてずっと気になっていたのだが、まさか会えるとは全く思っていなかった。しかも、札幌で。
今年になって私が突然菊池風磨についてインスタストーリーで語っていたら、Sさんもセクゾのファンだとわかって連絡を取り合ったのだ。
一緒においしいお寿司をいただき、セクゾの過去のFC会報をたくさん見せていただいた。山戸さんの映画の話はもちろん、大事な話をたくさんした。正直なところ私はJオタに偏見がかなりあって、J問題への反応とかも最悪だと思っていたので、こういう自分に近い考えのファンの方もいるのがわかってかなり安心した。ライブ中に無理してファンサされようとしなくていいこともわかった。いろんな人がいていいのね。
Sさんは明日のチケットを持っていて今日は入らないのに、ライブ会場の真駒内アイスアリーナまで一緒についてきて下さって、ツアトラ前で一緒に写真を撮り、しばらくそこでも映画の話をしていた。そこで偶然(というか来るのは知っていたけど)、従兄の娘のYちゃんに再会。彼女は長年の風磨担で、同様に真駒内のみ当たって遠征したのだった。一緒に風磨のうちわとお人形(かわいい)を持って写真を撮る。
それにしても、大勢の女子の群れに圧倒された。大丈夫かな、私一人で。古参のギャルに囲まれたら浮くかも、とどきどきしながら入場したら、右はお父さんと来た小さな女の子と、左は中年夫婦で、スタンド席だったせいか落ち着いて雰囲気の良いエリアだった。むしろ私が一番盛りあがっていた(長年の習慣で現場に来ると自動的にブチ上がる)。同列のペンラはほぼ全員風磨カラーの紫を点灯していた。周辺みんな、風磨と新メンバー公式2枚+ファンサうちわ持ち。私は公式の風磨1枚にファンサうちわを持っていた。だがスタンド席だったし、ファンサうちわはストラップに提げっぱなしにしていた。万が一最前列とかになってしまった場合にマナーとして持つべきかなと一応作ってはきたものの、元々ファンサに興味はなかった。私は基本的に推しの視界に入りたくないタイプのおたくで、推しにはできるだけ負担をかけたくないのだ。女性アイドルをずっと推していたせいもあると思う。キモいファンと握手とかハートつくるとかしないでほしかった。推しはこっちを見なくていいけど、自分は推しをできるだけ近くで見たい。そういう感じ。
ライブ中は、正直坂道とお金のかけ方の違いを非常に感じてしまった。坂道は大所帯だから仕方ないけど、あんなレーザーの数見たことないし、序盤から舞い散るきらきらとか、大量の火(後方にも熱が伝わった)とか、金かかってる!と思ったね。あんな後ろの上にまで二台もLEDスクリーンあるのもびっくりしたし、どの席でもできるだけ見やすく、できるだけファンの近くに行こうとする設計が細やかにされていて感心した。あんなにメンバー全員を近くで見られたの、この十年近くアイドルのライブに行ってたけど初めてだった。てちがもしこんなに近くに来たら死んでしまうよ……と思いながら、リフターで上がってくる勝利くんのものすごい輝きとか聡ちゃんの優しい笑顔とかに手を振っていた。いや、女子アイドルは身の危険があるから近くに来なくていいのよ全然。でもそれを考慮してもかなり違いを感じた。良くも悪くも。そりゃあ、大金払って遠征してまでこれはみんな来るわな。
ライブ内容に関してはまだツアー中だからこれ以上書かない。風磨は目の前の通路を歩くとき、こっちをほとんど見なかった。ファンサをあまりしない人なのかな、と思っていた。だからアンコールを迎えるまで、まさかあんなことをされるとは夢の夢にも思っていなかった……
*
とにかく驚愕した。あんなことがあるなんて、正直微塵も予想していなかった。たぶん、舐めていたんだと思う。ファンサなんて、目をみて歌うとか投げキスされるとか数十秒のやりとりでしょ?そんなのは有名ロックスターから地下バンドのボーカルまで何回もされたことあるし、それが何だってのよ、と。
私は若い頃に国内外のロックバンドのライブにさんざん行き、近年平手友梨奈のファンになって以降は女性アイドルの現場に主に行っていた。男性の、スタエン所属アイドルのことはまるで知らなかった。女性アイドルには若い頃から憧れがあったが、男性アイドルには興味がなかった。女性である自分が、男性アイドルのファンになると、疑似恋愛的な表現でファンサされることになる。それに抵抗があった。女性アイドルも、男性ファンへのサービスが主になっているグループのファンにはなれなかった。欅坂が好きだったのは、主に恋愛がテーマではない楽曲を表現することが活動のメインで、それ以外のアイドルっぽい活動をセンターの平手友梨奈が一切やっていなかった(私が好きになって以来)からだった。
それが、なぜに突然、菊池風磨にはまったのか?
きっかけは平凡で、今たぶん大勢そういう人がいるけど、タイプロですね。Netflixの、timelesz project。
男性アイドルに興味がなかったのになぜ見たのかというと、山戸結希さんにすすめられたから。山戸さんじゃなかったら、絶対見なかったと思う。映画監督の山戸さんとは、ラジオで共演して以来何度かお会いしていた。
昨年末から、NoNoGirlsの感想を毎週金曜の更新後にLINEでやりとりしていたのだが、その終わりに山戸さんが、これから私はタイプロを見る、といつも送ってきた。タイプロも見た方がいいですよ、と。その時検索して初めてタイプロを知った。でもなかなか見なかった。だってタイムレスはおろか、Sexy Zoneも名前しか知らない。全く興味はなかった。
けれど、次に山戸さんに会うとき、その話だけできないのは嫌だった。山戸さんと話したいという理由だけのために、私はやめていたネトフリに入り直し、タイプロを見始めたのだった。菊池風磨のことはボールドのCMで洗濯大名になっていることしか知識がなく、佐藤勝利と松島聡の顔と名前は初めて知った。
しばらくは義務のように見ていた。それが3~4次審査で候補生が絞られてから急にスイッチが入ったように面白くなった。風磨が例の、しょっちゅう今もテレビで切り取られている、「殻破れよ」と発言した場面から。
私はあの瞬間、「それならやったことがある」と思ったのだった。
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殻を破る。よくある、大して珍しくもない、使い古された言葉だ。けれど、それは一体どういうことなのか、本当に知っている人は少ないと思う。なぜなら、彼が言ったような意味で「殻を破る」必要は、普通の人生ではあり得ないからだ。
大勢の中からたった一人、特別な人間として見いだされ、世に出ること。それは滅多に起きないことだ。光を浴び、大勢に才能を愛でられ、大きな期待と大金をかけられること。普通はあり得ないし、そんな必要もない。
殻を破って、向こう側に出る。暗闇から、目映い光の中へ出る。それは自力で生まれ直すことなのだった。自分の力でなくこの世に生まれ、ただ生きていくだけではない、もう一つの人生を選ぶこと。誰でもない自分一人の力で、それはまずやらなくてはならない。才能があってもできないかもしれない。運と才能は不可分。どれだけ才能があっても世に出られない人は大量にいる。
私はそれをよく知っていた。数十年、そのことばかり考えてきた。アイドルでも芸能人でもないけれど、自分は一度だけそれをやったことがあり、今もその禍中にいたから。
太宰賞をとる数年前。毎日誰にも言わずこつこつ小説を書きながら、新人賞に応募して、選んでもらおうとしていた頃、毎日、「突破したい」と思っていた。分厚い壁をぶち破り、向こう側へ「突破」する力を、作品に持たせる必要がある。毎日毎日それだけを考えて書いていた。
「突破」。
そのことを、風磨が「殻を破れ」という話をした瞬間に、私は思い出したのだった。
その困難を。
彼がどれだけ何度もそれをやってきて、それでも実現できないことがあったことも、何となくわかった。
それを、このprojectで他人に、しかもこんな大勢にやらせようとしているわけ?無理じゃない?他人を動かして壁を突破させて、自分たちの人生をそれに賭けるなんて、無理筋だよ。
それから私は菊池風磨に釘付けになった。彼が何を言うか、彼の一挙手一投足を見るために、タイプロを見ていた。申し訳ないけど、誰がメンバーに選ばれるかは二の次になった。菊池風磨のprojectがどうなるのかに、夢中になってしまったのだった。
ざっくり書くとこのようなきっかけで私は菊池風磨にはまり、それから半年後にライブ会場に辿りついたのだったが。
北海道まできても、私はまだ本当に風磨にはまったかどうか、確信は持っていなかった。この半年にSexy Zoneをかなり好きになり、タムより中島健人の方がおそらくセクゾを継いでいる気がし始めていて、風磨より健人にはまる可能性も高いと思っていた。
しかし。
東京に帰ってきて、私はまた風磨のことばかり考えている。
ねえ、あれは何だったの?
アンコールで、メンバーの乗ったトロッコがすぐ目の前を次々に通り過ぎた。私は通路に面した席で、振り返ってトロッコを見上げていた。その時だけファンサうちわを持った。けどみんな背を向けて、上のスタンドに向かってファンサしていて、こっちを全然見てくれない。
まもなく風磨の乗ったトロッコが同じようにやってきて、目の前で止まった。
見上げると風磨が私を見ていた。
……えっ……?
しばらくじっと見られている時間があった。風磨は何もせず、ただふんわり微笑を浮かべて、こっちを眺めていた。
あれは何だったんだろう。え、これ、何の時間?と私は風磨の顔を見ながら思っていた。なんなのこれ?何を見ているの?
それ以外の記憶があまりない。何の曲をやっていたかもはっきり思い出せない。歌っている時ではなかったことしかわからない。あの時の風磨の顔しか覚えていない。近くにいた人達が目の前の風磨にきゃーきゃー言っていたはずだけど、妙にしんと静まりかえっていた記憶しかない。
他人にあんな不思議な視線を向けられたことは今までになかった。帰ってからSNSを鬼検索して、あれを目撃していた人がいないか探したけれど、見つからなかった。ただ、同じように、しばらくぼんやり見られたけどあれは何だったんだろう、みたいなことを書いている人は一人だけ見つけたから、風磨はああいうことをファンに時々する人なのだということだけはわかった。
身を乗り出してロックオンしてうたってくれるとか、崩れ落ちる人が続出のエグいファンサをするとか、そういうのも見つけたけど、私がされたのはそういうわかりやすい流れではなかった。
微笑してこっちをしばらくふんわり見たあとで、風磨は私のうちわに書いてあったことをやってくれた。両手を構えるようにして、スパーンと指をさしてくれたのだった。その動きはとても格好よくプロアイドルらしくキマっていて、わかりやすいファンサだった。姿は今も目に焼き付いている。だからあれだけだったら、普通に「きゃー!」みたいになったと思う。その前までの、じっと見られていた時間があまりに謎すぎたために、私は指さしファンサに相応しい反応が全くできず、ぼんやり黙って立ち尽くしてしまったのだった。周囲も私がぼんやりしているせいか、きゃーみたいな盛り上がりはなかったと思う。
今の何だった?えっファンサされたよね?けど、その前のあの視線は何?
頭に疑問符が浮かびまくっていた。呆然としていて、そのあとの記憶があまりない。
あの視線に最も似たものとして今思い出せるのは、きわみさんと知り合った頃に出会った女友達、KNの視線だ。初対面なのに、テーブル越しに懐かしそうな、愛おしそうな目をしてじっとこっちを見つめてくる女で、「あれはやばい、あんな目で見られたら全員落ちるよね、男女関係なく」とよくきわみさんと話した。彼女のあの目に、風磨の目は似ていた。大きな喪失を経験した後で、かけがえのない今しかない世界で出会った相手を見ている人の目に。
風磨が私を見下ろしていた様子が、外からどんな風に見えたのか知りたい。あれも普通のファンサに見えたのだろうか。ロックオンされて、特大ファンサをされて、崩れ落ちるファンが多数いるという、そういう流れに、あれも見えるのだろうか。
私はファンサを舐めていた。あんなものだとは全く知らなかった。どんなにSNSを探しても、私が見たようなことを書いている人が見つからない。
菊池風磨。誰にも見せない顔がたくさんある人なのだろうと思っていたけれど。どんな人なのか、やっぱり全然わからない。
きわみさんがいたら、私はこのことを絶対電話で話しただろう。きわみさんにしか、私が見たものを理解してもらえない気がする。
ライブ中、私は一度だけ泣いた。「ワンアンドオンリー」の最中に。
「どんな遠くに離れているとしても
きっと幾つも季節が過ぎようとも
君と僕の心はひとつ
ずっと 10年後も 100年後も
最高な僕ら」
「こんな果てしない限りない世界の中で
たった一度の二度とない人生の中で
あの日 あの場所で 逢えたこと
きっと偶然じゃない いつまでも
最高な僕ら
Because I love you
心から君にありがとう
ずっと 10年後も 100年後も
最高な僕ら」
出会いなのか別れなのかわからない不思議な歌詞だと思う。これを聴くと、どうしてもきわみさんのことを思い出す。
トロッコの上と下。この世とあの世。近いのか遠いのかわからず、決して交わらないはずの人生が一瞬交差する、永遠みたいな静かな時間を、あんなに大音響のライブ中に発生させる菊池風磨。何者なんだ。私はああいう、交わるはずのない境界を超えて人と人が奇跡のようにめぐりあうものをいつも書きたいと願っているのかもしれなかった。もしあれをもう一度やってくれたら、私も境界の向こうに何かを返したい。あんなことが生きているうちにもう一度あるとは全く思えないけれど、この世には想像を絶することがあることがわかったから。だからこれから先も、私は風磨を見にライブに行くだろう。チケットが取れれば、だけどね。
Music Awards Japan2025
ゆうべはMusicAwardsJapanの生中継をNHKとYouTubeで見ていました。どっちを見ればいいのかよくわからないまま、NHKで始まったMIKIKO演出のオープニングアクトに度肝を抜かれてそのまま見てしまい、YouTubeを放置したままNHKの1部と2部のあいだにごはんを食べていて、レッドカーペットアンバサダーの中島健人さんがそのあいだずっと一人でしゃべっていたらしいのを見逃したのが痛恨のミスでした。
まあとにかく全てのパフォーマンスがすばらしく、こんなのよくNHKで生中継できたな、と(特に水原希子が紹介したコーナーのAIとパフォーマンスしたAwich、MaRI、NENEのBad Bitch美学、検索して。)驚嘆の連続だった。ちゃんみなさんは当然ながら最高だったし、YAZAWAのパフォーマンスをみてドームのチケットがまだ取れるか検索しました。天井席でいいから行きたい。一度でいいからライブでタオル投げたい。
リスナーズチョイスっていう賞はNumber_iがとったのだが、これだけ一般人が投票に参加できたので、私もSpotifyでずっと毎日投票していました。このラインナップでは無理だろうなと思いながら、毎日GEMNに投票。GEMNは中島健人とキタニタツヤによるユニット。「推しの子」二期のオープニング主題歌をうたっています。
でもこんなこと、ついこの間までまるで知らなかった。キタニのことはおぼろげに知っていたけれど、中島健人のことはセクシーばっかり言ってる変な人としか思っていなかった。
そう、私は今まさに、菊池風磨を経由して中島健人にもはまりつつあるのでした……。マジでなぜこんなことになったのかわからない。いやわかっているけれど、認めたくない。私はずっとJ界隈の人達とそのおたくが大変苦手だったのだから。てちが出る音楽番組をこの七年ほどたくさん録画してきたが、J界隈のグループは全て飛ばして全く見ておらず、だから誰が誰やら全く知らなかった。
たぶん三月頭に風磨の個人FCに入ってはまったことを認めた頃にはすでにケンティーにもはまっていたのだと思うが、さすがにそれはないと思いこんでいた。風磨にはまったことを認めるだけで精一杯だったのです。
風磨にはまった経緯は追々ここに書いていくことにして、ケンティーにはまったのはSexy Zoneの円盤を見過ぎたためです。風磨の過去を履修するためにセクゾの円盤をこつこつ買い集めて週末ごとに朝まで見続け、同時に無法地帯のTicTokにあがっている過去映像を大量に浴びてSexy Zoneの曲とパフォーマンスに魅了されつつ5人の約12年の人生を一気に吸収してその物語を消費した結果、初めて「関係性おたく」になってしまったのだった。風磨と健人、いわゆる「ふまけん」と言われる二人の、友だちでも家族でも恋人でもない、特別で唯一無二な関係の、おたくに。
二人がもう一緒に活動していないのにそのおたくになってしまうと、過去ばかり追うことになるので良くない。なので風磨の今と健人の今をそれぞれ追っていくしかないわけです。
風磨には二月から現在に至るまでかなり深くはまりこみ、グループのFCのみならず個人FCにまで入ってファンミーティングにも行き、大体わかってきたところでケンティーが初のシングルを先週出して活動が激化しているのみならず、ファンダムが猛烈に熱くてSNSにケンティーのケぐらい書いただけで速攻迎えに来る的な頑張りを見せていて、ああ、ソロになるって本当に今たいへんなんだな、数字的にも一人で稼げるアーティストが今どれだけいるのか、という現実もひしひしと感じて、てちは大丈夫だろうか、これではCDを出すなんてまだ無理だろうな、とかこれまで思ったことがなかったり知らなかったことに気づくようになった。グループから分かれたNumber_iのおたくたちが猛烈に投票しまくって獲得しただろうリスナーズチョイスと推し活リクエストの受賞の価値を、私はそんなわけでしみじみと実感したのでした。
この3ヶ月、アイドルグループの男女の違いをたくさん知って驚くばかりだった。女の子の命がいかに安く見積もられているかを改めて知った。守られているために不自由にならざるを得ないことも、なぜそうなっているかも、そしてやはり嫌だなと思っていたことにはますます憤りが強くなった。てちのこれまでについて思うところが変わったせいで後悔や反省も少なからずあるが、応援の気持ちはますます強まった。推しがいるとその宗教の中に入り込むような感じになるので、周りをあまり見なくなりがちだが、こうして推しが増えた結果、MAJのようなAwardsをみてもこれまでより深くキャッチできることがあった。おたくとしても音楽を愛するものとしても、できるだけすばらしい作品にはちゃんと課金し、生きているあいだに惜しみなくライブに行き、身を現場に運ぼうと思いを新たにしたのだった。それが今後の自分の創作にも反映されることになるだろう。
きわみさんのこと(長い)
箱根に来ています。この5ヶ月ほぼ休みがなかったので、睡眠をしっかりとって休息するためと、小説の書き下ろしに取りかかるため。新緑が美しくて、小鳥たちの声や風に揺れる葉擦れの音が心地よく、箱根は今が一番いい季節です。
休みがなく睡眠も削り気味だったこの5ヶ月、何をしていたかというと、短編小説を書き、週に数度の家族の病院付き添いをし、習い事のダンスのステージに出て(当日トラブルに青ざめ)、てち(平手友梨奈さん。ガチ推し。)のソロになって初のライブを見るために数十年ぶりに野外フェスに行ってブチ上がったりしていました。その間に、短歌の連作を書いたり歌会に出たり連載やら書評やら、ちまちました短歌の原稿はいつも通りずっとこなしてもいた。
まあ、てちのライブ以外は通常通りの日々で、家族の病気がやや悪化して(もう大丈夫)二月から三月に非常にそれに時間を費やしたこと以外はいつもとそう変わらず、休みもとれるはずだった。
が。
二月に突然、菊池風磨にはまる、という驚愕の出来事が起きて(まだ信じられん)、休みがほぼなくなってしまったのだった。しかしこれについて書き始めるとかなり長くなるしどこから書いていいかわからないしそんなの読みたい人がいるかわからないので、今日は書かない。そのうち、少しずつ、書いていく。連載だな!(ってブログだよ)。
さて、沼にはまった事件以外にこの5ヶ月寝る暇がなくなったもう一つの理由は、歌集を作っていたからでした。
自分のではなく、他人の。
村上きわみさんの歌集を作っていました。
*
村上きわみさんは、2023年秋に亡くなった歌人です。私の大切な友だちでした。
去年の6月に一人で歌を集める作業に入り、ちょうど一年かけて、やっと自分の手をほぼ離れたところです。あとは事務処理をこなしつつ、出来上がるのを待つだけ。
一年前、どこから手をつければいいんだろう、と途方に暮れていたら、ある方からきっかけのような言葉をいただきました。その言葉のおかげで、これから作るものがどんな本なのかわかったし、自分にはきっとできるとも思った。
しかし、ほぼ一人で約1600首から約400首まで絞るのは難業ではありました。だって、いい歌しかないからね。一番難しかったのは、ほとんど連作になっていない短歌たちを、選びながら順番を決めて連作のように組んでタイトルをつける作業。途中、何度か「無理」と思ったり頭がおかしくなりそうになったけど、何度か徹夜して鉄の意志でやり遂げた。私の他には誰にもできないと思ったから。
私以上にきわみさんへの思いがある人はたくさんいるはずだけれど、歌集としてまとめて世に出すまでの作業ができる人は、今現在自分しかいないのだった。なぜかわからないけれど、たまたまそうなった。
友だちだからというのももちろんあったけれど、断じてそれだけじゃない。それだけでは、こんなことはできないしやろうとも思わない。
出会ってから二十五年の時間をかけて、私はきわみさんに歌人として少しずつ近づいていきました。ずっと仲良くしてくれていたけれど、最初の十年くらいは、実はけっこう遠かったと思う。
私にとってはきわみさんはずっと特別な存在だったけれど、きわみさんにとってはそうじゃなかったと思う。なんだかやたら懐いて近づいてくる人、という感じでしかなかったと思う。今思えば歌歴に差があったし、何より私は洞察力もなく言葉の使い方も未熟だったし、人間として差がすごくあった。私はきわみさんと対等に歌や文学や映画などの話ができるようになるまで、十年以上はかかったと思う。
たぶん私が誰にも言わずに小説を書き始めた頃から、関係が変わった気がする。短歌の評論を書く機会をよく得るようになり、N短の連載も始まった頃。
歌人同士の友情なんて、本当はあり得ない。同じくらい才能があって、読解力もあって、互いが何をしていて何を言っているか、深く理解し合えて認め合い、本当に思っていることを言い合えるなんてことはあまりない。本当にはね。信頼している歌人はたくさんいるけれど、それはたぶん友だちとは違う。
そうしていつからか、きわみさんと短歌についても深く話すようになった。
「未来」の70周年の特集か何かで、自選7首を出さねばならなかったとき、「決められない」と言うきわみさんの代わりに、私が選んだことがありました。送ってもらった中から、選んだのです。きわみさんは私の選歌をそのまま載せていました。
そのとき、選ぶのがとても楽しかったので、私はメールに、お互いの歌を選びあって一緒に歌集を出せばいいんじゃない?みたいなことを書きました。それ以外にも、一緒に同じ紙で同じサイズの歌集作って安くあげようよ、みたいな話もしていました。雑談の中で。
だから歌を選ぶのはいいけれど。最終的にぜんぶ私一人できわみさんの歌集作るなんて、聞いてないよ。しかも私の歌は誰が選んでくれるのよ。約束が違うじゃん。
そんな風に思いながら、この一年、やるしかなかった。
これはきわみさんの歌集なのに、私が選んで編むわけだから、どうしても私の好みの歌集に仕上がるに決まっている。それをどこまで考慮して客観的にコントロールできるか、握りすぎることなく手放すことができるか、模索しました。自分のものにしては絶対にいけない。
最終的には、担当編集者の筒井さんと意見交換をしながら、章立てを決め、タイトルを決定しました。筒井さんにお願いすることは、亡くなってまもない段階から密かに私の中では決めていた。「未来」で仲間だった時期もあるし、何よりきわみさんの歌に関心を持って下さっているのがわかっていたからです。選歌の段階ではタイトルつけるのかなり難しそう、と思っていたが、筒井さんと相談してうまい具合に章立てができて、頭から読んでいったら、タイトルはこれしかないとすぐにわかりました。
*
中身ができてから、最後にきわみさんの「略歴」を作り、「編者あとがき」を書いた。
あとがきは予想以上に難しかった。他人の歌集のあとがき。そんなものは書いたことがないしあまり読んだこともなかった。しかも単なる知人ではなく、この世にたった一人しかいない友だち、の歌集なのだ。「未来」に追悼文を書いた時よりずっと難しかった。説明しなくてはならないことをきちんと記し、編者としての使命をまっとうしなければならない。なぜ自分がこれを編んだのかを含めて。その上で読みやすく惹きつける文章を書くのが難しかった。
書くために、出会ったときから今までのことをたくさん思い出したせいで、何度も泣いてしまって書き進めるのに何日もかかってしまった。ああいう文章を書くことはもう二度とないと思う。
最後の数行はするする手が動いて、書くつもりがまるでなかったことを書いた。書き終えて、涙が止まらなくなった。自分はきわみさんに対してずっとこんな風に思っていたのか、とやっと気づいた。書けてよかったと思う。
書き終えたあけがた、公開になったばかりのtimeleszのアルバムリード曲のMVをみたら、「たった一度の二度とない人生の中でめぐりあった奇跡」みたいな激エモ曲をきらきら歌っていて、また号泣してしまった。やめてくれよ。アイドルって他人の人生に勝手に食いこんでくるから危険すぎる。彼らのライブの遠征で、今年の夏に北海道に行くことになった。歌集を連れて行こうと思う。一緒に行くはずだった場所に行く。
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さっき、最初に届いた栞文を読ませていただいた。すごいです。なぜこんなに本質を射抜けるのか。これがどんな歌集なのか、自分だけでなくみんなにもわかるんだという安堵に、少し泣きました。これで大丈夫なんだね。ありがとう。この恩は忘れない。
そんなわけで来月末、やっと村上きわみさんの歌集が出ます。版元からお知らせが出たらここにもリンクします。寄贈はあまりできませんから、ぜひ買ってお読み下さい。宜しくお願いします。
お知らせ&日記再開
今日からしばらく、できるだけブログを更新したいと思います。
3月ごろからずっとブログを書きたいと思っていて。というのも、まずはお知らせがいくつかあったからです。
Xやインスタではお知らせしていましたが、1月に新潮文庫から出た、恋と食をテーマにしたアンソロジー『いただきますは、ふたりで』に短編小説「くちうつし」を入れていただきました。
好評のようでうれしい限り。以前「小説新潮」に寄せたものを、少しだけ直して収めました。
次に、4月に出たこちらの雑誌の、「作家と編集者」という特集に短編「邪悪な香り」を寄せました。
紙魚の手帖 vol.22 APRIL 2025 - |東京創元社
kindleでも読めます。
上記の2編は私の中ではうっすらつながっています。なのでどちらか読んで気に入って下さった方は、もう一編もぜひお読みいただけたら幸いです。
「邪悪な香り」の方は、初めて男性の一人称、しかも書簡文体で書きました。かなりキモくてこわいという感想をいただいていますが、書きながら私もそう思ってた…。でも超面白いはずなのでぜひ。面白いっていうかやばいっていうか。
不快な人もいるはずだけど、これを不快と思うか別に大丈夫と思うかでその人自身の倫理観がわかってしまうかもしれない。書きながら、こんなの書けてしまう自分はやばいんだろうなと思ったりもしました。自分の邪悪さに向き合った。
私は基本的には芸術至上主義者なのだろうな。『リトルガールズ』にもくっきりそれは現れているけれど、その悪はあれには書かれていなかった。そのことがずっと気になっていたので、これはその悪についてやっと書けたと言えるのかもしれません。
ジャニーズ問題で考えたことや、新聞の、トー横キッズを保護してるつもりで性犯罪をおかしているおじさんのインタビュー記事を読んだことなども、色濃く反映されているかもしれません。
これを書いたことで、自分の書き方が少しだけわかったところもありました。
意識上で設定したテーマより、こうして自分の無意識に深く刻まれているテーマがどうしても浮上してくること。だから箱書きや人物設定しても、まるで違うものになったりすること。
考えた通りにならなくても心配しなくていい、まるで違う結果になったとしてもそれまで意識上で考えたことが無駄なわけではない。ということがわかって、安心した。
要するに、できない気がしても諦めなければ絶対にできるってことです。それがはっきりわかりました。今まで、自分に書けるのかどこかずっと疑っているところがあったから。自分で自分の足を引っ張っているようなところが。
というわけで、上記2編をどうか宜しくお願いします。
長くなったので今日はこんなところで。どうしてブログ書くことにしたのかとか、今年の私の激動の日々(他人には大したことではない)については少しずつ、これから書いていきます。あまり推敲せずさっと書いてどんどん更新していくので気軽に斜め読みしてください。
小説新潮9月号
8/22発売の「小説新潮」9月号の「恋と食べもの」特集に、「くちうつし」という題の小説を寄稿しました。
ややエロい感じのタイトルですが、エロ場面はありません(と思う)。自分がこんな話を書くとは思いがけず、でもずっと書きたかったテーマではあったので、書けてすごく嬉しかったです。しかししつこいけど当初こんな中身になるとは夢にも思っていなくてびっくり。
これを書きながら、自分が以下の作品から影響を受けていることがわかって面白かったのでメモしておきます。以下のラインナップになんとなくピンときたらぜひお読み下さい。ピンとこなくても面白いので読んで下さい。百合です。
初めてこんなに登場人物が少ないものを書きました。二人?いや三人?よくわからないので、読んで確かめて下さい!
(漫画)山岸凉子「鬼来迎」、同「日出処天子」
(映画)小林正樹「怪談」中の「雪女」
ブライアン・デ・パルマ「キャリー」
チン・シウトン「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」
あとはこの世の様々なゴーストストーリーから影響を受けました。書く前に読んだ本もいくつかありますが、意識して選んだそうした作品たちとは全然違うものになっていき、無意識から上記の作品の様々な場面が強く浮上してきたのが書いていてすごく面白かったです。
読んで気に入っていただけたら何らかの方法で教えて下さい。宜しくお願いいたします。
文庫化と今後のお知らせ
拙著『恋愛の発酵と腐敗について』が小学館文庫に入りました。
解説は中江有里さん。中江さんにはNHKで本書をご紹介いただいた上に、さらに解説まで書いていただけて本当に嬉しかったです。ご多忙中ありがとうございました。
単行本と同じく、装幀は名久井直子さん、装画は箕輪麻紀子さんです。
絵は同じですが、背がピンクになったり紙がつるつるになったり、だいぶ印象が変わりました。届いて開けたとき、かわいい!かわいい!と一人で興奮。今も机の上にあるのですが、見る度に「かわいい」と呟いてしまいます。
ぜひ書店で、小学館文庫の棚を探してみてください。
単行本リリース直後から、多くのメディアで取り上げていただき、ご紹介いただいたおかげで文庫になったと思っています。年末には思いがけず「本屋が選ぶ大人の恋愛小説大賞」にも推薦していただきました。また、これまで途切れず上がり続けているインスタを中心とするSNSやネット上のたくさんの感想、そして何よりも買ってくださったお一人お一人のおかげです。ありがとうございました。
*
正直、自分の本が文庫になるなんてことがあるとは夢にも思っていなくて、もしそれが可能になるとしたらもっともっと先だと思っていました。何か奇跡みたいなことが起きない限り、無理だと思っていました。
なのでこのたびの文庫化のお話をいただいても、なかなか信じられませんでした。ゲラが来ても、ほんとなのかな?とまだ思っていました。
AppleBooks先行を経て、単行本リリース、そして文庫で三度めのリリースになります。そのたびに改稿することになりました。
文庫に際しては、直すつもりは全くなかったのですが、組み直したゲラを読んでみると、なぜかどうしても書き直したい部分が出てきて、いくつかの場面をかなり変えました。でも、ストーリー的には変化はありません。印象はちょっとだけ違うかもしれませんが。
読後感がもっと良くなったように思うのですが、どうでしょうか。
というわけで、これが完全版になります。
たくさんの方に買って読んでいただけますように!!
そして、いつかデビュー作を文庫にしていただく夢も叶えたいです(悲願)。そのためには自分がこれから書くものがもっと世に出ること、そして多く読まれることが必要です。まだ新人なのでそれがなかなか難しいんですけれども。
*
最近、ずっと苦手意識のあった短編をついに書くことができました。しかも、ずっと書きたくて、でもどうしたら書けるのかわからなかった内容のものを。書いているあいだひたすら楽しくて、夢中でした。
来週出る「小説新潮」9月号に掲載予定ですので、詳細はまたTwitter等でお知らせします。すごく読んでいただきたい。そして感想を知りたい。
文庫も雑誌掲載の次作も、どうか宜しくお願いいたします。
綱渡りの日々は続く……。
自分にとって面白いものをもっと書きたい。そのためにもっと技術を磨きたい。
どうかこれからも見守っていただけたらありがたいです。
2022年の振り返り
あと一時間半で新年になってしまうので、ごく簡単に今年あったことを思い出せる限り書いておきます。
・2月に新刊の小説が出て、予想以上の反響があったことが最も大きなことでした。すぐに新聞各紙やテレビなどで取り上げていただき、本当に驚いたしありがたかった。
その上、12月には「本屋が選ぶ大人の恋愛小説大賞」にノミネートされたという知らせをいただき、受賞はかなわなかったけれど、いつか・・・という目標ができました。選考会の様子は『オール讀物』2月号に掲載されるとのこと。まさか2作目も選考対象になるとは予想だにしていませんでした!
・3月末に、NHKラジオ「らじるラボ」の木曜レギュラー出演を終えました。番組始まってすぐにコロナ禍となってほとんどスタジオに行けず、約2年間自宅2階の仕事部屋脇の小部屋を簡易スタジオにして、電話出演していました。電話台をテーブル代わりにして台本を置いて、椅子しか置けないほど狭い通路みたいな場所に座って喋っていたのです。まさかあんな物置みたいな場所から全国に向けてしゃべっていたとは、誰にも想像できなかったでしょう。家族だけがそれを面白がっていました。しかし自分がラジオに、しかも生放送に毎週出ることになるなんて、夢にも思っていませんでした。人生って不思議です。貴重な経験でした。2年間、毎週月曜朝までに台本の元となる原稿を2本書いて送るという生活を続け、担当のスタッフの方は立ち上げから変化しましたが、全ての方に感謝しています。聞いて下さった方、本当にありがとうございました。
「さくらひなたロッチの伸びしろラジオ」には、引き続き短歌の先生として今年も出していただきました。
・夏に引っ越しをしました。これが大変でした…。ラジオを辞めたのはたまたまでしたが、もしあのまま続けていたら絶対無理だったでしょう。
17年暮らした家(三階建て)に、好きなように家具や本など詰め込んでいたため、不要品の処分やら何やらに思っていた以上の時間と労力がかかりました。17年前と今の自分では生活スタイルも考え方も変わっていて(何より仕事が違う)、「いつか使うかも」ととっておいた物のことごとくが、もういらないのでした。要するに、「いつか」なんてもう来ないのです。いやー、本当に大変でした。引っ越しのトラウマで、処分が楽かどうか気になって必要な物さえなかなか買えなくなってしまいました。本をKindleでよく買うようになってしまったのも、引越しのせいです。
引越しが終わったあと、部屋が本の段ボールで天井までぎっしり埋め尽くされて寝る場所しかなかったのはしんどかったです…。引越しお任せパックみたいなサービスで箱詰めはやってもらったんですが、出すのは全て自力だったので、重労働でした。次は絶対本だけは収納まで頼む!!と決意。
・新居は我ながらよく見つけたと思うような、静かでいい場所にある良い家なのですが、これで心機一転いいものがどんどん書けるようになるかというとそんな甘くはなく、引っ越しダメージのせいなのかなんなのかわからないけどメンタル的な何かがうまくいかない感じで困っているところ。書き下ろし一つ終わったけど出す目処がまだ立たず。2作目の評判が良かったおかげで話はいくつも来ているのだが・・・。今こそ願っていた状況なのに、なぜうまくいかない?と絶望的な気持ちになったり。
そんなわけで今年はやるべきことができなかった感じがあり、来年こそがんばりたいと強く思うのでした。
・今年は去年ほどコロナに怯えて暮らしてはいなかったけれど、去年と違った意味でコロナによる良くない影響を年末に至って強く感じ始め、それは欲望ややる気みたいなエネルギーがじわじわ減っていくような感覚で、このままではまずい、と積極的に12月は人に会うようにしました。少しだけど。
本当にしたいことを来年は諦めずに、自分を信じたい。
最後に、Twitterにも書きましたが、今年映画館でみた中でよかった10本をメモしておきます。
・ユンヒへ
・春原さんのうた
・コーダ あいのうた
・ふたつの部屋、ふたつの暮らし
・トップガン マーヴェリック
・PLAN75
・LOVE LIFE
・あのこと
・ファイブ・デビルズ
・そばかす
「ユンヒへ」は映画館で二度みて配信になってからもう一度みて、いずれも同じところで泣きました。配信でみた中では、「ソウルメイト七月と安生」がものすごくよかったです。もう一度観ると思う。