うみゆり日記(新)

錦見映理子の日記です

2020年の個人的な振り返り

今年はあまりにいろんな事がありすぎて、時系列が最早わからないような感じがあるのですが、いま思い出せる範囲の自分のためのメモです。(掲載情報は全て割愛)。

1月。

・23日に平手友梨奈さんが欅を脱退。特に動揺はなし。むしろほっとする。(その後いろんな感情はありつつ)

・昨年末に書き下ろした小説(一冊分)の後半がなんだか気に入らず、悩んだ挙げ句に半分書き直すことに自ら決める。一ヶ月くらいで仕上げて送ります~とか担当編集者の方に伝えたのだが、これがやってみたら思うようにならず、追い詰められる。未来の新年会も途中で抜けて、一階のカフェで一人で書き直したりしていた。

 

2月。

・初旬に友だちと素敵なホテルに泊まる贅沢旅をする。すばらしい景色。広い部屋。おいしい食事。最高の休日。しかしこれは書き下ろし終了の打ち上げ的な意味で早割で予約したものなのであった。予想と違ってまるで出来ていない・・・。夜、部屋で飲みながら、ほとんどノイローゼ状態の現状を友だちに吐露。もうできないかも、と泣きそうになる。今思えば、そんな簡単にできるわけがなかった・・・。

やり直すなんて言わなければよかった、別にダメ出しされてないんだから最初のを出すか、と思うも、どうしても自分で納得できず。友だちに、なんとしてもいったん終わらせろ、早く次に向かわないとそこから脱出できないぞ、と言われる。

 

3月。

・コロナがじわじわやばくなってくる。8日の誕生日に一人で高級ホテルに泊まって誕生日を祝おうと思っていたが、断念。今思えば、この頃はまだたいしたことはなかったから泊まってもよかったかもしれなかった。

・何日頃のことか正確にはもう思い出せないが、別に暮らしている家族の一人が急に入院。そのために一緒に暮らしていた家族が付き添うことになり、私はしばし一人暮らしになる。

・月末に、NHKラジオの新番組のお試し版に出演。生放送の大変さを知る。こんなこと毎週出来るんだろうか? 家族に、たぶん三ヶ月くらいでクビになるだろうからそれまでやればいいじゃんと言われてとりあえず納得。

 

4~6月。

・ラジオ生出演初回からリモートでやることになる。緊急事態宣告が出たためにスタジオに行けない。スカイプでやったり、携帯でやったり、右往左往させられる。最終的に固定電話に落ち着くも、それまで本当に大変だった。6月くらいまでは、大変すぎてあまり記憶無し。

・確か4月の終わりくらいにこれは無理だし自分に向いてないとスタッフの方に言ったら、いやすごく向いてると言われた記憶。しかしどうして自分なのかさっぱりわからないし、ものを書くという長く残る仕事と、その場で消えていく話す仕事の、両方を同時にやっていくことのバランスがうまくとれずに大変だった。この頃は、何より、急な対応をしないとならないことが多すぎるのにびっくりしていた。

・家族はコロナの影響で在宅勤務が続き、病人の付き添いを続行。私の一人暮らしも続行。電話でのみやりとりする。しんどいメンタルを電話で支え合う。家族が、ラジオでいろんなジャンルのゲストの方と話すのは貴重な経験になるからいつか役に立つと言い続けてくれたことが支えになった。あとは毎回聴いてくれる友だちの存在。

印象に残ったゲストはやはり作家の方々。高樹のぶ子さん、村田沙耶香さんなど。14歳からずっとファンだった小堺一機さんとお話したのも忘れ難い。

・滅茶苦茶大変だったこの三ヶ月にもずっとこつこつ小説は書いていた。大量に捨てた気もするけど。書き下ろしはいったん出来たが、腑に落ちない部分あり。

・コロナ以降、毎日リモートヨガに出て、毎週リモートダンスレッスンに出られたのはかなり支えになった。あと毎月のリモート歌会。

 

7~8月。

・7月10日。岡井隆逝去の報を知る。他人との交流を出来るだけシャットアウトすることに。心許せるごく少数の人としか理解しあえないし、したいとも思わず。Twitterに流れる「私の思い出」にもかなりげんなりし、見なくなる。

・7月16日。欅坂46がなくなることを配信ライブで知る。それほど違和感なく受け取る。もうてちがいないし、新しく出発するのは良いような気がした。(しかし10月のラストライブ前に新グループ名が発表されたのには引いてしまい、ラストライブが新グループのスタートを兼ねていたので余韻に浸れずしばらく心が離れてしまった。)

・7月末~ラジオが三週間夏休みに入ったおかげで別荘へ。少しずつ自分を取り戻す。ひたすら本を読んで精神を回復させた。一時本当にやばかった。

・夏休み中に別コーナーの収録をした。山戸結希監督と初めてお会いして、二時間の収録中に少しずつ心を通わせて、最後には近くで寄り添えたような心地になったのは非常にいい体験であった。帰りがけに山戸監督とLINEの交換をする。自分が二十代の頃には、同年代の女性の映画監督なんていなかった。当時映画界で仕事している女性を調べたら、スクリプト(記録)と、衣装やメイク、あとは脚本のみであった。それで脚本家を目指したのだが。今も女性の監督は全体の三パーセントほどしかいないと山戸監督は話していた(そこはカットされたけど)。

このコーナー(「おとラボ」という、曲の歌詞を読んで考える企画)は菅生絵里さんという女性の構成作家さんが台本を書いて編集まで手がけて下さったのだが、彼女との打ち合わせ中の会話をきっかけに、ずっとうまくいかずにいた書き下ろし小説のクライマックスのヒントが得られて、帰ってからやっと、引っかかっていた部分を書き直すことができたことも忘れ難い。

これは顔を合わせて打ち合わせできたことが大きかった。ラジオの仕事をして良かったと初めて思えた。

・そんなわけで、何度もやり直していた去年からの書き下ろし小説が完成。月末に提出。これでダメでも次があるからいいや、ともう一つ取りかかっていた書き下ろしに向き合う。

 

9月。

すぐに返事が来て、打ち合わせに某社へ。すごく面白かったと言っていただけてほっとする。早速手直しポイントを話し合う。

 

10月。

修正したものを再度提出。結局ほとんどのページを修正。良くなったと思うが、まだ心配。

もう一つの書き下ろしも進める。

 

 11月。

これで行きますというお返事が来てほっとする。

次の書き下ろしはまだかなり迷走中。こつこつやるしかない。

夏休み以降はラジオ出演にもだいぶ慣れた。映画紹介コーナーの台本もすぐ書けるようになった。ゲストコーナーで一番印象深かったのは、直接お話できなかったけど、黒沢清監督への質問のうち最も聞きたかった二つが採用されて、しかもそれが監督に非常にはまったらしかったこと。カンヌ受賞を受けて、収録二日前にいきなり質問を出すように言われて大変だったけど良かった。

あと、準備に一番時間をかけたのは俵万智さんの回。

村上健志さんの回のみ、短歌の話をすることもあって、今年唯一スタジオに三人入れたことも忘れ難い。たった一度!対面だとこんなに話しやすいんだ、とびっくりした。これが普通なのか・・・。電話出演がどれだけ大変かわかったという意味でも印象深かった。

 

12月。

・9日。平手友梨奈さんFNS歌謡祭にてデビュー曲サプライズ披露。ついに、と泣いてしまう。この日が必ず来ると確信していたから1月23日に動揺しなかったものの。作らないと生きていけない人だと最初に見たときにわかったものの。目の当たりにして感極まってしまった。

・某日。NHKラジオエンタメ班からご連絡をいただき、アイドルに短歌を教える先生役として特番の収録に参加。しかし、ものすごく難しかった・・・。短歌への愛とアイドルへの愛に引き裂かれてどっちに軸足を置けばいいのかわけがわからなくなったのと、短歌のことを知っている人が私しかいない現場が初めてだったせいで、どれをどのくらい相談しておけばOKか的確に判断できず、伝えるべきことができていなかったと、終わってからわかったり。自分には納得いかない出来になった部分もあり。今なら、ここをこうすればよかったとわかるのだが。終わってから、もう一度やり直したい、と思った。申し訳ない。

正直、ただのファンとして楽しめなくなるので積極的に出たい気持ちはないのだけれど、良いものを作りたい気持ちは強くあり、もっとできたのにという悔しさもあるので、もしもちょっとでも短歌コーナーに面白いところがあったなら、できたら感想をお寄せいただき次につながるリクエストしていただけたら、非常にありがたいです。私はいらないんじゃ、ロッチさんとメンバーだけでいいんじゃ、という気がすごーーーーくしつつ。

29日の放送をリアルタイムで聴けるかちょっとわからないので先にこうして書いてしまう。Twitterで宣伝もできないと思うので、あとは公式にお任せして、これで今年はネットを離れて、書くことに集中する年末年始にしようと思います。

 

次の本が出るまでまだ時間かかるかもしれないけど、自分は全然器用じゃないし、簡単に書けるものを書いているわけじゃないので当然だと思っている。自分だけの道を踏みしめながら、暗闇を黙々と歩むしかない。どこに向かっているのかはわからないけど、私が幸福を感じるのは自分が面白いと思えるものを書けたときだけ。そうして書けたものを提出できる先があるのは幸せなことです。

今年はラジオに出たことで、世間というものを以前より知ったような気もする。コロナのことは非常に恐ろしく、書いているものの設定を変えたりしたのもそのせいがあるだろう。経験したことのない不安が、公私ともに大量に押し寄せてきた一年だった。

いまだに、岡井さんがもういないことが信じられない状態ではありますが、未来短歌会は来年を岡井隆メモリアルイヤーにするらしいし、6月に「送る会」もすることになっているので、歌人としてもできることをしていきたいです。個人的には、年明けから一年かけて岡井隆の歌集を一冊ずつじっくり読み直したいと思っています。

来年も宜しくお願いします。来年は少しラジオ出演日を減らしてもらうかもしれません。あと内容も変わると思うので、よかったら気晴らしにお聞きください。

拙著を未読の方は年末年始にぜひ。特に小説(『リトルガールズ 』)は、こんな世の中になっても面白いと思う。来年もそういうものを書きたいと思います。