うみゆり日記(新)

錦見映理子の日記です

最終チェックを終えて

このあいだ、TVをなんとなく観ていたら、恋がしたい、ときめきが欲しい、などと話しているタレントさんたちに対して、高嶋ちさ子さんが「恋は全く必要なし。あれは時間つぶし。あんなものは一度経験すりゃいいの」と言っていました。全くその通り!と大変共感。まあ、その「一度」がどんなものかによって、だいぶ違うとは思いますけれども。

『恋愛の発酵と腐敗について』の刊行が決まりました! 2月14日発売予定。版元のサイトは下記です。ここの「予約する」ボタンを押すと、たくさんの書店のリンクが出てきます。今のところネット書店いくつか予約できるようになっています。(Amazonとか楽天とか)

恋愛の発酵と腐敗について | 小学館

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昨年末に、装幀データを見せていただきました。
シックで、かわいくて、すごくいい。公開を楽しみにしていただきたいです。

本日、雪のなかコンビニに宅配便を出しに行きました。最後のゲラを戻したのです。大きな内容の変更はしていません。全体にわたって、細かく表現を直したりした程度。
久しぶりに紙で読むと、やはり電子版とかなり印象が違いました。読みながら何度か笑ったり。書いているときは必死なのでうまくいってるのかあまりわからなかったけれど、あの人たち、かなり可笑しい。本人にとっては深刻な恋愛の悩みも、客観的にみるとかなり滑稽なものだなというのも、渦中から脱する寸前にわかったことの一つでした。


書き始めた頃、友達にどんなのを書いているの?と聞かれて、「恋愛の話」と答えました。

友「どんな?」

私「だめな恋愛。基本、みんなだめ」

友「それはいいね」

という会話をしたことを覚えています。

しかし、だめってどういうことだろう?たぶん、すてきな恋のときめき、ロマンチック、みたいなことは一切ないよ、という意味だったのかな(友達、よくわかってくれたな)。

 

三十代半ばくらいまでの自分を思い出してみると、今とはまるで別人のように思えたのが、書くきっかけだったかもしれません。

なぜあの頃の自分は、あんなに苦しかったんだろう。なんで男とペアにならなければいけないと思い込んでいたのか。そしてなぜ、選ばれることに喜びを感じていたのだろう?なぜもっと自由に、主体的に生きられなかったのか。好きな人と生きていくことが難しかったのはなぜなのか。
そもそも、あの頃好きだと思い込んでいた、あれは本当に恋だったのか?

そんなことを考えていた頃に、『酵母から考えるパンづくり』という本を読みました。パン好きなら誰でも知っている人気店「シニフィエンシニフィア」の方が、パンの作り方を詳細に書いている本。

人と人が恋におちて何かが起きる。それと、パンを作る過程の発酵が、とても似た作用のように私には思えたのでした。要するに、ただの現象です。ほんの少しのさじ加減で、うまく発酵したり、だめになったりする。恋愛の際にも起きるさまざまな変化の有り様を、書いてみたい。それが「恋発」を書こうと思った動機でした。

最初は、三人の女と一人の男、という設定しか決めていませんでした。
名前や年齢と職業くらい決めて、あとはパン作りの工程を覚えたり、作業順序の一覧表を作ったり、カフェの取材するなど、そっちのほうを熱心に準備しました。

ストーリーはほぼ決めず、書きながら次の章を考える、という流れで書き進めていきました。あっちの方に行きたいな、というぼんやりした方向だけわかってるという感じかな。

なので、書いてみて、へーこうなるんだ、ということばかりで、自分でもびっくりしながら楽しく前半はどんどん書いていきました。ところが後半はかなり苦戦。何度も諦めそうになりながら、時間をかけて書き上げました。

山場に何かが起きることだけはわかっていましたが、それが何なのかがなかなかわからなくて、こうじゃない、ああじゃない、と大量に書いては捨てたような気がします。苦闘、という感じでした。コロナ直前に行った旅行の際に、友達に「もうノイローゼになりそう」と半泣きしたのを覚えています。

諦めなくてよかった。そんな苦戦していた山場が、なぜ突然書けたのか、それはまたいつか、発売後にどこかでお話できたらと思います。