うみゆり日記(新)

錦見映理子の日記です

久しぶりの更新

下書きに入れたままにしていた7月20日の日記を更新。↓

ずっと止まったままだったブログなのに、毎日予想以上にたくさんの方が覗きに来てくださっていたことを、いまアクセス記録を見て知った。すみません。

 

下↓の日記は、先月、10日間ほど別宅にいた際の、初日のもの。

滞在中に次第に精神が落ちつき、小説が書けるようになった。それでブログを書かなくてよくなった。

久しぶりに、無意識におりて大事なものを拾ってくることができて、やはり空白というか余白が必要なんだなと痛感。

これができないと物を書く楽しみがなくなっちゃう……。

 

Wi-Fiがないおかげでちょうどよくネット断ちできたのと、不安やかなしみや怒りなどをよそにやるためにひたすら本を読み続けたのがよかった。

Kindleにたくさん本を落として、文字通り片時も離さず読み続けていた。Kindle、軽くて濡れても大丈夫で、扱いやすいのが良い。除菌もできるし。

紙の本派だったが、危機的状況だから仕方がない。だいぶ助かった。

好きな本は何度も読むので、紙とKindle両方あるといいね。

 

引き続き小説の仕上げと次に書きたいものの準備をしていて、ブログはあまり書かないかもしれませんが、たまにこうして近況報告しますね。

ひぐらし日記

山の家に来た。やっと来れた。三月末以来だから、約四ヶ月ぶり。

三月に来た時に、急にうまく書ける状態になって、このままの感じで続きを書けばあと少しで終わるな、と安心して帰ったのだったが、甘かった。四月から生活のサイクルが変わってしまったことと、たぶん精神状態が不安に満ちているせいで、集中力が途切れがちになり、続きは思ったよりうまくいかなかった。そのためにまたしても苦心することになってしまって、こんなことになるならあのままどんなことをしてでも終わらせてから帰るべきだったと後悔したのだった。

ともかくまた来ることができて本当に良かった。

ここで少し休んで、安心できるといいのだが。

O駅で二日分の食料を買い込んだ。以前と変わらず山と積まれた野菜を買うことが躊躇われ、パック入りのを選ぶ。たぶん積まれてる方が新鮮だから、以前は迷わずそれを選んでいたが。うなぎの蒲焼きもたくさん並んでいて美味しそうだったけれど、それも晒されていたので買えず。東京よりだいぶ感染リスクに対してゆるめ? でも最近スーパーとかデパ地下とか行ってないから、東京ではどうなのかわからない。

いつものバスで一本で行こうとしたら、先日の豪雨のせいか通行止めで上がれないとわかって、別のバスで一度乗り換え、さらにケーブルカーを乗り継いだ。ケーブルカーには二人しか乗っていなかった。人がいなくて自分は安心だが、観光的には打撃だろうから心配。

マンションの周りの木々は鬱蒼としていた。静かに雨が降り始めていて、湿度は高いが暑くはない。静かでほっとする。ひぐらしが鳴いている。あじさいも、まだたくさん咲いていた。

赤目四十八滝心中未遂』を読み返した。何度目か。精神が疲れているので何も考えたくなくて、逃避のような読書。

東京ではひどく憂鬱でつらかった。移動して、ここで少しは気分が変わるといいのだけれど。

欅坂46

時間的にも精神的にも余裕がなく、今あまりちゃんとしたことが書けないのですが、少しだけ。

昨年末、BRODY2月号のインタビュー記事を修正するために(実は結局ほとんど自分で書いた文章を使っていただいた)、主に歌詞の言葉を通してさまざま考えたのですが、「僕」の現在が思っていたより厳しくて進む先がなかなか見えず、もしかしてこの先はないかもしれないと考えるに至ったのですが、それは困るからなんとかネガティブなイメージにならないように必死で記事を書きました。

そんなわけで、てちの脱退も、欅坂46の改名も、もちろんびっくりはしたけれど、どこかでやはりと納得してしまうようなところがあり、比較的冷静かつ半ば安堵したような反応になりました。

これ以上はみんながつらくなりすぎるような気がしていた。

とはいえ、好きだったグループを同じように見ることができなくなることにはさびしい気持ちももちろんあり、非常に複雑な、さまざまに揺れる感情があります。でもそれも詳しくはここには書かないでおきます。

先日の配信ライブは、アイドルグループというより、ロックバンドの解散ライブを見たような気持ちになりました。鮮烈だった。

下記は、先日のライブ後に、ファンクラブのプレゼント応募フォームの小さいメッセージ欄に、携帯から送った文章のコピペです。

これだけ、ここに置いておきます。

 *

今日のライブで見た、全員の渾身のパフォーマンスを忘れないと思います。

「ガラスを割れ!」を含めたセンター曲での小林由依さんは今までで一番強くかっこよく、映画「マッドマックスフューリーロード」のフュリオサ大隊長を見た時のような気分になりました。小池美波さんも可愛さと美しさに加えて小悪魔的な魅力を放つ複雑な主人公をアンビバレントというテーマに沿って見せてくれてびっくりしました。森田ひかるさんの、孤独が垣間見える横顔の美しさ。山崎天さんのどの瞬間も絵になるたたずまいと不敵な表情。踊っているときの斎藤冬優花さんの全身と目の、鋭く強い美しさ。MC中の菅井友香さんの姿も声も表情も、高貴でした。菅井さんが考え抜いて自分の言葉で話してくれた6分間。それを受け止めていた一人一人の顔。これだけのステージを作り上げたチーム欅坂46を目撃できてよかった。

きっと新しいグループはどんな道でも切り開いていける。どうかみんな、自らの意思でそれぞれの道を選びとって歩いてほしい、と願わずにいられません。今まで本当に素晴らしいパフォーマンスをありがとうございました。これからも応援しています。

一週間経った

今春以来、コロナとラジオの週一出演と家族の緊急事態と初めての書き下ろしが重なり、それらに同時に対処していくことが本当に精神的にきつい日々。先週はついに、人と話すのも嫌、という状態になった。Twitterで、自分のことをよく知らない人から雑に話しかけられるのにうんざり。「理解できない人は下がって」という言葉が頭に何度も浮かんだ(中澤系さんの一首「3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって」から)。もう通知切ったから大丈夫だけど。いま、対応可能キャパシティはかなり近しい関係の一名くらいです(笑)。

私は数年前から、小説を書いている最中しか幸福を感じることができない病気にかかっている。それは、うまく書けないと不幸が極まるということでもあり、要するに今、幸福な状態になるための時間がまとまってキープできなくて不幸なんだと思う。まあ、うまく書けないなんてことは別に今に始まったことじゃないんだけど。

コロナで不安だということが相当大きいだろう。そんなときに、自分にとって文学上特別な存在だった方が亡くなった。どのように特別かということは、複雑すぎてまだ書けないし、書けるとしてもネットには書きたくない。

 

近況も知っていたし、心構えはずっと出来ていたはずだったが、でも実際にそうなると、予想とはだいぶ違う心境になる。それは塚本邦雄が亡くなったときに初めてわかったことで、河野裕子さんのときにも、新聞を握りしめて泣いたことに自分でびっくりしたことも含めて諸々予想外の反応があったが、今回はこれまでとは距離感が全く違って相当近いといえば近く、遠いといえば遠い、どう言えばいいか説明できない存在で、対外的には「岡井隆に師事」とプロフに書く事もある昨今だったけれど、そう書いて本当にいいのかわからない気もしていて(遠く師事、みたいなイメージを自分では持っている。私淑、と言えばいいのかな。でも一応未来の岡井欄だからやはり師事でいいのかな。そのあたりが自分は複雑)、書けば書くほどこのように混乱していく。予想以上に大変堪えている現在。今さらの後悔や、逆に間に合って良かったことなど。

ともかく今言えることは、肉体の死は同時代に生きる者にとって重い。そして今回は自分にとって特別な存在であったことも含めて、ここに思い出さえ記すことはできない。ましてTwitterになんか書きたくない。

Twitterはしばらくお休みします。ここはたまに更新すると思います。SNSにはシェアされるようにしておくので、どの日のブログも拡散は自由にしていただいて結構です。

よく考えると、友だちの近況や好きな人の情報をとるために開いてるのに、見たくもない言葉が勝手に目に入って来るTwitterって、相当暴力的。今の私にはやはりブログがちょうどいいみたいです。

不易

10年近く通っていた大手ダンススタジオの退会手続きをした。落ち着いたらまた行こうと思っていたが、当分無理そうなので。チケット少し無駄にするけれど、仕方がない。コロナが落ち着いたら再入会しようと思う。

手続きに行ったついでに、三ヶ月半ぶりにレッスンに出てみた。人数制限があると聞いていたから、すいてるかと思ったら、前と変わらぬ人数。

毎週zoomで同じ先生のレッスンは受けているのだが、やはり広い場所で鏡でちゃんと見て踊ると全く違う。先生の動きもよくわかった。立体的な動きが、zoomではよくわからないのだ。

先生の個人スタジオはやめないつもりなので、これからもzoomで参加しつつ、秋頃からはスタジオにも参加したいと思った。人数が少なそうな時に。

都心には人が多すぎる。人との距離を空ける、という概念がすでにもうなくなっているようだけれど、どうして? もう大丈夫ってことになったんだろうか。

映画館はちゃんと席を空けて一つおきに座る方式。さまざま対策しているけれど、ここにはまだ人が戻っていない感じで、心配になる。

そんな自分もこの三ヶ月で、配信で観る方が楽だし安心だなと思うようになってしまった。あんなに、映画館で絶対観るべきと思っていたのに。

映画館で観ないとわからないことはたくさんある。「薄氷の殺人」を映画館で初めて見たとき、何かが起きる一瞬前に、誰も動いていないのに「あっ起きるな」というのがわかる場面が何度かあって、観客の神経を研ぎ澄ましていく画面構成にしびれたけれど、そういうのもたぶん映画館だったから感じたのだろう。

そういう大事なことが、知らないうちに少しずつ自分にとって大事ではなくなっていくようで、心配だ。人は易きに流れてしまう。

変わるって言えば、昨日着た夏服が微妙にきつきつだったのだが、体重あまり変わってないのに体型が変わったのかな。こんなに生活が変化すればそりゃ体型くらい変わりそうなものだけど、人前で踊るために普段非常に気をつけてきたしお金もそれなりにかけてきた、あれらの努力は一体なんだったんだ、もうどうでもいいぞ体型なんか、と思うこのごろなのだった。マスクで顔が見られないのもとても楽(自分の顔きらい)だし、服を買う気もかなり失っているし、こうした興味関心はコロナが落ち着いてから元通りになるのかな。

森の木々と共和国

 豪雨被害の地域が心配。母が子どもの頃久留米に住んでいたので、幼少期に雨がひどくなって家の屋根にみんなであがって救助を待った、舟で救助を呼びながら流れていく人を見た、庭の大木のおかげで家が流されずにすんだ、などの話を繰り返し聞かされて育った。

風の谷を森が守ってるって話(またナウシカ)をみるたびに、うっすらそれを思い出す。

そういえば、都知事選の結果が出たときもナウシカの台詞を思い出しました。「燃やすしかないよ。この森はもうダメじゃ」という大ババさまの台詞です。胞子が残っていて、谷を三百年守ってきた森の木々がやられてしまったのがわかった後の。

 

ナウシカだけでこの世の全てを語ることができるんじゃないの?

 

もう雨ひどくならないでほしい。梅雨の時期にラジオで雨の歌を読もうと思っていくつか作ってあったけど、やめた。なんか強い雨の歌ばかりになっちゃったし。

東京もひどくじめじめしている。体が重くなりがち。

週に二度も徹夜するはめになり、毎回こうならないようにしようと思うのに気づくと朝になっていたりして、まずい。全く寝ないということはないので大丈夫だけれど。いま週に一度締め切りが来るので、それによって中断するものを再開させるのに時間がかかってしまうのだ。何とかしないと、と思うが、焦るほどに時間が飛ぶように過ぎていく。

去年の今ごろ、欅共和国(夏の野外コンサートです。共和国というコンセプトはてちの提案らしい)にツアーバスに乗って行ったんだったな、と思い出す。雨がずっと降っていて、寒かった。バスの席は行きも帰りも女の子が隣で、前にもお母さんと小さい女の子、後ろも女子二人組だった。あの頃は欅友だちがいなくて、私は前年同様一人で行った。でもTwitterで前日に行った人たちからこれ持って行くと荷物濡れないよ、とかキャップかぶるといいよ、とかアドバイスしてもらってほとんど濡れずに済んだ(前年は後方だったのにかなり濡れた)。前から十列目くらいの良い席だったのだが、右寄りだったので、てちは全く近くに来なかった…。もんちゃんがすぐ目の前の花道を通ったけど、目を伏せて笑顔なく、ほぼファンを見なかった。そうだね、無理して愛想を振りまかなくていいよ、と思いながらそれを見ていた。

もう欅共和国に行くことはないだろうな。

女の子たちの統治する、小さな共和国。まわりを木々が囲み、背後には山が見えた。夜になると国民たちは緑のペンライトを点して、国王の登場を待った。最後には花火が打ち上がった。もうあの国はない。また別の王があらわれて、新たな国ができるのだろう。