うみゆり日記(新)

錦見映理子の日記です

文学の世界

年がかわって初めての更新。今年も宜しくお願いしますというご挨拶から。

年末からずっと、てちのテレビや雑誌での露出が毎日のようにあり、姿をほとんど見られない日々が常態だったようなこれまでとの変化に、びっくりしている。感情が忙しいです。まもなく、出演映画である「さんかく窓の外側は夜」が公開になるので、その前夜祭に行けるのかが心配。ライブビューイングでもいいから行きたいという気持ちで現在いっぱいです。ライブビューイングもチケット取れなかったら、泣く。

さて、本題です。

出演中のNHK第一放送のらじるラボ木曜日のオープニングコーナーがリニューアルしました。希望を聞いていただき、映画を紹介するのはしばし休憩にして、短歌を一首ずつ紹介するコーナーのみに。盛りだくさんでぎゅうぎゅうだったこれまでに比べて、わりとゆっくり歌を味わえるかなと思っています。

正直、自分の予想よりずっと人々が短歌を知らないことに昨年はものすごく驚いたので・・・。想像を絶するほど。なので、少しでも知っていただけるといいなと思うのだった。

大人の事情で、現代短歌を紹介できないのが非常に残念なんですが・・・。できれば戦後から現在までの歌も紹介したいのですが・・・。

感想とともにそんな希望もお送りいただければ、もしかしてもしかしたら、そんな展開もあったりするかもしれませんので、お聞きの方はお手数ですがこちらまでメッセージを。

ところで今日は、自分がラジオに出るようになってから、よく聴くようにもなった、という話を。

特にNHKのR2をよく聞いています。友だちの歌人藤田千鶴さんが以前日記に、ラジオで「朗読」を聞きながら家事をしていると書いていて、そんな番組があるとは!と食いついたのがきっかけ。

今は谷崎の『痴人の愛』をやっています。超好き。『細雪』とこれ、何度も読みすぎてぼろぼろになっては買い直しているくらい。

あと最近は「カルチャーラジオ 文学の世界」をよく聞いている。今は今野寿美さんが「コロナ禍と短歌」をテーマにお話中。聞き逃しもある。

私はこの前にやっていた都甲幸治さんの「文庫で味わうアメリカ短編小説」を何度も聞き逃しで聴いては、本を読みました。ほとんど持っている本しかなかったのも良くて、読んだつもりになっていたのに忘れていたりしたものもあったので、読み直すのに大変良かった。

放送に従って読んだので、ここにメモしておく。番組サイトからコピペ。

第2回  エドガー・アラン・ポー1809-1849「黒猫」
第3回  ハーマン・メルヴィル1819-1891「書記バートルビー
第4回  マーク・トウェイン1835-1910「失敗に終わった行軍の個人史」
第5回  シャーウッド・アンダーソン1876-1941「手」
第6回  F・スコット・フィッツジェラルド1896-1940「バビロン再訪」
第7回  ウィリアム・フォークナー1897-1962「孫むすめ」
第8回  アーネスト・ヘミングウェイ1899-1961「白い象のような山並み」
第9回  トルーマン・カポーティ1924-1984「クリスマスの思い出」
第10回  レイモンド・カーヴァー1938-1988「足もとに流れる深い川」
第11回  ティム・オブライエン1946-「レイニー川にて」
第12回  イーユン・リー1972-「優しさ」(中国出身、アメリカに帰化
第13回  チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ1977-「なにかが首のまわりに」

まだ後半は聞き逃しにあるし、検索するとYouTubeに上げている人がいますので、ぜひ。超わかりやすくて面白い。

 

今年読んだ本のこと少し

2020年に読んだ本のことを書き忘れていたので、メモ的に。

春に、江國香織『去年の雪』とチョン・セラン『フィフティ・ピープル』を読んだことが一番印象的だった。

この2冊を読んだことで、嵌まり込んでいた場所から脱出したような気がしたから。

大量の人が出てくる2冊。前者には100人くらい入ってるらしいし、後者はタイトル通り50人。こんなに出てきてもいいんじゃん!と嬉しくなり自由な気持ちになったのがよかったんだろう。

 

それで、韓国文学で好きなのほかにないかなあ、と行きあたったチェ・ウニョン『わたしに無害なひと』『ショウコの微笑』もよかった。

 

あと、年末の今に至っていきなり片岡義男にはまっている。

初めて読んだ。かなり偏見があり、すすめられても見向きもしていなかったのだが、少し前に江國香織さんが帯文を書いている同氏の新刊を目にとめて買い(江國帯は滅多にないので必ず買う)、それでもなかなか読まずに放置していた。

今年の夏休みにKindleを片時も離さず本を読みつづけて精神を回復させた時に、大量にセール本をKindleに落としたのだが、その中にあった片岡義男『豆大福と珈琲』をなんとなく最近読んでみたら非常に良くて、直前に読んだ別の作家の話題作にどんよりした(すごいけど今の私には不向きだった)せいもあり、違いがくっきり感じられたのもタイミング的によかった。私はそっちではなくこっちなんだな、みたいな自覚ができた。

で、今は『コミックス作家川村リリカ』をKindleに落として読んでいる。これも大変気に入っている。美女2人がお前とか俺とか言い合いながら会話している。しかも年末年始の話。

年末の短い休み中に、片岡義男のおかげで書けそうな場所に近づいている予感がしている。こういう読書はなかなかできないので貴重。

来年も読み続けよう。

2020年の個人的な振り返り

今年はあまりにいろんな事がありすぎて、時系列が最早わからないような感じがあるのですが、いま思い出せる範囲の自分のためのメモです。(掲載情報は全て割愛)。

1月。

・23日に平手友梨奈さんが欅を脱退。特に動揺はなし。むしろほっとする。(その後いろんな感情はありつつ)

・昨年末に書き下ろした小説(一冊分)の後半がなんだか気に入らず、悩んだ挙げ句に半分書き直すことに自ら決める。一ヶ月くらいで仕上げて送ります~とか担当編集者の方に伝えたのだが、これがやってみたら思うようにならず、追い詰められる。未来の新年会も途中で抜けて、一階のカフェで一人で書き直したりしていた。

 

2月。

・初旬に友だちと素敵なホテルに泊まる贅沢旅をする。すばらしい景色。広い部屋。おいしい食事。最高の休日。しかしこれは書き下ろし終了の打ち上げ的な意味で早割で予約したものなのであった。予想と違ってまるで出来ていない・・・。夜、部屋で飲みながら、ほとんどノイローゼ状態の現状を友だちに吐露。もうできないかも、と泣きそうになる。今思えば、そんな簡単にできるわけがなかった・・・。

やり直すなんて言わなければよかった、別にダメ出しされてないんだから最初のを出すか、と思うも、どうしても自分で納得できず。友だちに、なんとしてもいったん終わらせろ、早く次に向かわないとそこから脱出できないぞ、と言われる。

 

3月。

・コロナがじわじわやばくなってくる。8日の誕生日に一人で高級ホテルに泊まって誕生日を祝おうと思っていたが、断念。今思えば、この頃はまだたいしたことはなかったから泊まってもよかったかもしれなかった。

・何日頃のことか正確にはもう思い出せないが、別に暮らしている家族の一人が急に入院。そのために一緒に暮らしていた家族が付き添うことになり、私はしばし一人暮らしになる。

・月末に、NHKラジオの新番組のお試し版に出演。生放送の大変さを知る。こんなこと毎週出来るんだろうか? 家族に、たぶん三ヶ月くらいでクビになるだろうからそれまでやればいいじゃんと言われてとりあえず納得。

 

4~6月。

・ラジオ生出演初回からリモートでやることになる。緊急事態宣告が出たためにスタジオに行けない。スカイプでやったり、携帯でやったり、右往左往させられる。最終的に固定電話に落ち着くも、それまで本当に大変だった。6月くらいまでは、大変すぎてあまり記憶無し。

・確か4月の終わりくらいにこれは無理だし自分に向いてないとスタッフの方に言ったら、いやすごく向いてると言われた記憶。しかしどうして自分なのかさっぱりわからないし、ものを書くという長く残る仕事と、その場で消えていく話す仕事の、両方を同時にやっていくことのバランスがうまくとれずに大変だった。この頃は、何より、急な対応をしないとならないことが多すぎるのにびっくりしていた。

・家族はコロナの影響で在宅勤務が続き、病人の付き添いを続行。私の一人暮らしも続行。電話でのみやりとりする。しんどいメンタルを電話で支え合う。家族が、ラジオでいろんなジャンルのゲストの方と話すのは貴重な経験になるからいつか役に立つと言い続けてくれたことが支えになった。あとは毎回聴いてくれる友だちの存在。

印象に残ったゲストはやはり作家の方々。高樹のぶ子さん、村田沙耶香さんなど。14歳からずっとファンだった小堺一機さんとお話したのも忘れ難い。

・滅茶苦茶大変だったこの三ヶ月にもずっとこつこつ小説は書いていた。大量に捨てた気もするけど。書き下ろしはいったん出来たが、腑に落ちない部分あり。

・コロナ以降、毎日リモートヨガに出て、毎週リモートダンスレッスンに出られたのはかなり支えになった。あと毎月のリモート歌会。

 

7~8月。

・7月10日。岡井隆逝去の報を知る。他人との交流を出来るだけシャットアウトすることに。心許せるごく少数の人としか理解しあえないし、したいとも思わず。Twitterに流れる「私の思い出」にもかなりげんなりし、見なくなる。

・7月16日。欅坂46がなくなることを配信ライブで知る。それほど違和感なく受け取る。もうてちがいないし、新しく出発するのは良いような気がした。(しかし10月のラストライブ前に新グループ名が発表されたのには引いてしまい、ラストライブが新グループのスタートを兼ねていたので余韻に浸れずしばらく心が離れてしまった。)

・7月末~ラジオが三週間夏休みに入ったおかげで別荘へ。少しずつ自分を取り戻す。ひたすら本を読んで精神を回復させた。一時本当にやばかった。

・夏休み中に別コーナーの収録をした。山戸結希監督と初めてお会いして、二時間の収録中に少しずつ心を通わせて、最後には近くで寄り添えたような心地になったのは非常にいい体験であった。帰りがけに山戸監督とLINEの交換をする。自分が二十代の頃には、同年代の女性の映画監督なんていなかった。当時映画界で仕事している女性を調べたら、スクリプト(記録)と、衣装やメイク、あとは脚本のみであった。それで脚本家を目指したのだが。今も女性の監督は全体の三パーセントほどしかいないと山戸監督は話していた(そこはカットされたけど)。

このコーナー(「おとラボ」という、曲の歌詞を読んで考える企画)は菅生絵里さんという女性の構成作家さんが台本を書いて編集まで手がけて下さったのだが、彼女との打ち合わせ中の会話をきっかけに、ずっとうまくいかずにいた書き下ろし小説のクライマックスのヒントが得られて、帰ってからやっと、引っかかっていた部分を書き直すことができたことも忘れ難い。

これは顔を合わせて打ち合わせできたことが大きかった。ラジオの仕事をして良かったと初めて思えた。

・そんなわけで、何度もやり直していた去年からの書き下ろし小説が完成。月末に提出。これでダメでも次があるからいいや、ともう一つ取りかかっていた書き下ろしに向き合う。

 

9月。

すぐに返事が来て、打ち合わせに某社へ。すごく面白かったと言っていただけてほっとする。早速手直しポイントを話し合う。

 

10月。

修正したものを再度提出。結局ほとんどのページを修正。良くなったと思うが、まだ心配。

もう一つの書き下ろしも進める。

 

 11月。

これで行きますというお返事が来てほっとする。

次の書き下ろしはまだかなり迷走中。こつこつやるしかない。

夏休み以降はラジオ出演にもだいぶ慣れた。映画紹介コーナーの台本もすぐ書けるようになった。ゲストコーナーで一番印象深かったのは、直接お話できなかったけど、黒沢清監督への質問のうち最も聞きたかった二つが採用されて、しかもそれが監督に非常にはまったらしかったこと。カンヌ受賞を受けて、収録二日前にいきなり質問を出すように言われて大変だったけど良かった。

あと、準備に一番時間をかけたのは俵万智さんの回。

村上健志さんの回のみ、短歌の話をすることもあって、今年唯一スタジオに三人入れたことも忘れ難い。たった一度!対面だとこんなに話しやすいんだ、とびっくりした。これが普通なのか・・・。電話出演がどれだけ大変かわかったという意味でも印象深かった。

 

12月。

・9日。平手友梨奈さんFNS歌謡祭にてデビュー曲サプライズ披露。ついに、と泣いてしまう。この日が必ず来ると確信していたから1月23日に動揺しなかったものの。作らないと生きていけない人だと最初に見たときにわかったものの。目の当たりにして感極まってしまった。

・某日。NHKラジオエンタメ班からご連絡をいただき、アイドルに短歌を教える先生役として特番の収録に参加。しかし、ものすごく難しかった・・・。短歌への愛とアイドルへの愛に引き裂かれてどっちに軸足を置けばいいのかわけがわからなくなったのと、短歌のことを知っている人が私しかいない現場が初めてだったせいで、どれをどのくらい相談しておけばOKか的確に判断できず、伝えるべきことができていなかったと、終わってからわかったり。自分には納得いかない出来になった部分もあり。今なら、ここをこうすればよかったとわかるのだが。終わってから、もう一度やり直したい、と思った。申し訳ない。

正直、ただのファンとして楽しめなくなるので積極的に出たい気持ちはないのだけれど、良いものを作りたい気持ちは強くあり、もっとできたのにという悔しさもあるので、もしもちょっとでも短歌コーナーに面白いところがあったなら、できたら感想をお寄せいただき次につながるリクエストしていただけたら、非常にありがたいです。私はいらないんじゃ、ロッチさんとメンバーだけでいいんじゃ、という気がすごーーーーくしつつ。

29日の放送をリアルタイムで聴けるかちょっとわからないので先にこうして書いてしまう。Twitterで宣伝もできないと思うので、あとは公式にお任せして、これで今年はネットを離れて、書くことに集中する年末年始にしようと思います。

 

次の本が出るまでまだ時間かかるかもしれないけど、自分は全然器用じゃないし、簡単に書けるものを書いているわけじゃないので当然だと思っている。自分だけの道を踏みしめながら、暗闇を黙々と歩むしかない。どこに向かっているのかはわからないけど、私が幸福を感じるのは自分が面白いと思えるものを書けたときだけ。そうして書けたものを提出できる先があるのは幸せなことです。

今年はラジオに出たことで、世間というものを以前より知ったような気もする。コロナのことは非常に恐ろしく、書いているものの設定を変えたりしたのもそのせいがあるだろう。経験したことのない不安が、公私ともに大量に押し寄せてきた一年だった。

いまだに、岡井さんがもういないことが信じられない状態ではありますが、未来短歌会は来年を岡井隆メモリアルイヤーにするらしいし、6月に「送る会」もすることになっているので、歌人としてもできることをしていきたいです。個人的には、年明けから一年かけて岡井隆の歌集を一冊ずつじっくり読み直したいと思っています。

来年も宜しくお願いします。来年は少しラジオ出演日を減らしてもらうかもしれません。あと内容も変わると思うので、よかったら気晴らしにお聞きください。

拙著を未読の方は年末年始にぜひ。特に小説(『リトルガールズ 』)は、こんな世の中になっても面白いと思う。来年もそういうものを書きたいと思います。

2020年映画紹介リスト

らじるラボで今年春以降にご紹介した映画を順に書いておきます。

ほぼ自分で決めたものですが、時々番組サイドの希望の作品をゲストに合わせてやったりもしています(※のもの)。それを除くと、コロナで突然新作ではなく配信作品のみになって以降は、連想ゲームのようにゆるく繋げて作品を選んでいました。どこがどう繋がっているかは、観て分かる人には分かるかもしれません。

また春以降は、いま観るべきものは何か、よく悩みました。古い映画も多いですが、今こそ見直して改めて気づく視点を提出したつもりです。たった数分間しかない短い時間なので、その中で伝えられることは非常に限られていたのですが、何か伝わっていたら嬉しいです。

「パラサイト」※

「ジュディ 虹の彼方に」

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒」

(ここから突然コロナのせいで配信のみになる)

「ブレンダンとケルズの秘密」

「SMOKE」

バベットの晩餐会

愛と哀しみの果て

マイライフ・アズ・ア・ドッグ

「フロリダ・プロジェクト」

マンチェスター・バイ・ザ・シー

カメラを止めるな!」※

櫻の園

プルートで朝食を

「セント・オブ・ウーマン」

「薄氷の殺人」

「エル・スール」

トッツィー

「サイコ」

「怪談」

八月の鯨

リトル・ミス・サンシャイン

女神の見えざる手

ブロークバック・マウンテン

落下する夕方」※

「その土曜日、7時58分」

「ビリーブ 未来への大逆転」

おみおくりの作法」

「幸せはシャンソニア劇場から」

「ひまわり」

フラガール

「シャイニング」

ハンナとその姉妹

マルホランド・ドライブ

アパートの鍵貸します

都合により台本書いたのに出来なかった作品が二点あるので、それはまたいつか。

聞いてくださった方ありがとうございました。

一緒に一首を作る企画

下記の特番に、一部出演することになりました。

www4.nhk.or.jp

らじるラボとは関係なく、でもこちらもNHK第一放送です。

初めてお会いするスタッフの方々との打ち合わせはとても良い感じでした。愛のある現場、という印象です。

年末はいずれの46グループも非常に多忙で大変ハードな時期と思われますので、私としてはできるだけご出演の尾関さんと潮さんには負担をかけず、でも少しでも短歌の良さや楽しさを感じていただたけたら嬉しく、しかも自分を含めたファンが楽しめるといいな、と個人的に思っています。そのために微力ながらできるだけのことをさせていただければ・・・・・・。

短歌、軽い言葉遊びのようではありますが、うまくいけばファンとメンバーの気持ちがぴったり通い合う一首になるかもしれません。また、ふとしたきっかけで本人も気付かなかったような自分を発見したり、ブログや普段しゃべっている時には表せないことを密かに形にできたりする可能性もあります。

 

「46短歌」を作る企画なのですが、

試しにやってみると、こんな感じ。

誰よりも高く跳びたい朝だから空色のワンピースを選ぶ  錦見映理子

「誰よりも高く跳べ!」という、けやき坂46時代からの日向坂46の曲名と、グループのイメージカラー「空色」も歌に入れています。

決まり事は57577の31音にすることだけ。そのうちの上の句(575)部分を、リスナーの皆様に作って送っていただく企画です。上の歌だったら、「誰よりも高く跳びたい朝だから」が上の句ですね。続く下の句をメンバーが作ります。季語はいりません。

こんな風にグループのイメージカラーや衣装から膨らませてもいいし、出演メンバーへの気持ちを書いてもいいし、自分の日常の中の推しとの一コマや、ライブの思い出など、個人的なことでも。投稿すると、ただ聞くだけよりかなりわくわくできると思います。

うまくいったら一回だけじゃなく続くかもしれないです。続くといいな。一回だけでは短歌の楽しみはわからないので・・・。いつか、深いところまで行けるといいな(夢)。若い頃って自分を思い出しても主体的に話すことがかなり難しかったりするし、増してグループの一員であれば個人の思いはあまり形として残らないこともありそうだし、短歌がきっかけで自由になるささやかな場所みたいなものを発見していただけたらいいなと勝手に思っているのです・・・・・・。

滅入るニュースだらけの昨今、聞いている方はもちろん、メンバーが短歌を作ることを楽しんでいただけたら本当に嬉しいので、みなさまどうか愛と力を送ってください。宜しくお願いいたします。大量に送りつけたいのをがまんしている私の分まで、お願いします。

彼女(たち)について私が知っている事は何もない、けれど

昨日、ネット上の或る評論を読んでいたら、女性アイドルグループ(固有名が出ていた。坂道ではない。)のひとたちみんな人形に見える、というような一文がいきなり出てきて驚いた。人形の出てくる文学作品についての論で、人形は非人間的でこわいという話の流れだった。興味深い論評だったけれど、この一文がこの流れで必要なのかは私には不明だった。非人間的なもののモデルとして、なぜ人間である女性のアイドルグループ名を出さねばらないのか?そんな必要ある?と思ったのだった。その文そのものが彼女たちを人形化しているような気もした。

同じ服を着ている女性アイドルたちがみんな同じ顔に見えるのは興味がない人には当たり前かもしれないけれども、当然ながら彼女たちは人形ではなく、一人一人別の顔を持った別の人間である。

こういう、女性アイドル=誰かの言いなりで自分の意思のないお人形さんとして扱われている人、みたいな見方が、てちがいきなり目に飛び込んできた2017年末以来、私は以前よりずっと気になるようになった。

自分の中にもそういう決めつけがかなりあったと思う。

だからこそ、てちを好きになってしまってから一ヶ月ほど、夢中で過去の映像やら記事やらを大量に漁りながら、私が何を必死で探っていたかというと、彼女の意思はどのくらい反映されているのかということだった。

幸い、その頃彼女が映画撮影に入ってグループ活動から一時離脱していたことが間もなくわかったので、インタビュー等からも、仕事の選択が彼女に任されていること、センターでも離脱する自由があること、無理矢理両立させられることはないのだということがわかり、他にもさまざまグループ活動の中に、予想以上に個人の意思が反映されているらしいことがわかってきた。

たぶん私は、初めて見たとき、てちがお人形に見えないことにびっくりしたのだろう。こんな顔をして大舞台に出てくるアイドルがいていいのか、と思った。こんなに生々しく、人間であることを表に見せてしまっていいのだろうか。これは仲間だ、と直感した。何かを創作する天才にこういう人、いる。見たことある。何らか軋轢と戦っている人。○○ちゃん(知人の物書き)に初めて会ったときのインパクトに似てる、と思った。

愛想を振りまかない、女性アイドルグループのセンター。

彼女を中心とする欅坂46に対するバッシングや違和感の大半は、自分のイメージ通りのアイドルではないことによるものである気がする。女性アイドルは基本お人形のようなものであるべきと思っている人たちにとっては、鋭い目つきで、顔がよく見えず表情が読み取れず、全く愛らしく振る舞わないアイドルグループセンターは気に入らないだろう。また、仕事の選択を自分の意思によって行えるとは思わないだろう。しかもその選択が、時には現場で軋轢が起きることも厭わず、グループで表現する作品を最優先に考えた結果だったりするとは、想像もしないだろう。だからたびたび、誤解が起きる。

意思のない人形、みたいなアイドル像と、てちがセンターの欅坂46は違って見えた。

時にはファンの中にも、それが気に入らない人もいたかもしれない。なんで自分が足を運んだ現場に推しが当日になって急にいないのか。なぜ完璧なパフォーマンスを見せないのか。せっかく仕事を休んでお金を払って来たのに。という気持ち。わかる。とてもよくわかる。けれど、相手は人形ではなく人間なのだ。

想像する。なぜ顔をよく見せてくれないのか。なぜあんな表情をしたのか。なぜ今日来られないのか。なぜ昨日とは違うステージになったのか。どんなに想像しても、ファンである私たちには本当のことは何もわからない。

声援を送る人たちが、同じ声でバッシングをしてくること。そのアンビバレントを四六時中全身で浴び続けること。人形ではなければどれだけ苦しいことだろう。

意思を貫けばワガママと言われ、意思を押し殺せばお人形と言われる。どうしろって言うの?

欅坂46のドキュメンタリー映画中に、彼女は苦しそうな顔を何度か見せた。しかし彼女は映画の中で語ることを選ばなかった。それによって映画は、はからずも、主人公が内面を一切見せないハードボイルド映画になった。彼女が人形に見えるひとたちには、裏であんな苦しそうな状態を見せること、それでもステージに立つことに、違和感を持つだろう。無理させなければいいのに、とか。人形だったら、操る人がいるはずだから。

だけど、少しも無理をしない表現なんてあるんだろうか。

彼女は人形ではなく、どうするかは最終的に彼女の選択と意思。私はあの映画を観るまでに、そう思えるようになっていた。欅坂46がなくなる頃になって、やっと。

偏見を持っていたらそのようにしか彼女たちを見ることはできない。そういう意味でアイドルは偶像であるのだろう。メディアに出ることは人の勝手な欲望や願望を押しつけられることでしかない。理解なんかできるわけがない。何もわからないし何も知ることはできない。ただ、彼女が自分の意思で伝えたいと思ったものを見て、その度にかっこいいと感じ、心をふるわせたこと。それだけが真実だった。

ただひたすら見つめ続けた。それだけしかできなかった。いま生きている人間である彼女を。そんな数年間を過ごしたことを、私は長く忘れないだろう。

夏の夢

Kindleに落とした『小さな天体ー全サバティカル日記』を読んでから寝たせいだろうと思うが、加藤典洋さんが夢に出てきた。いろいお話できて嬉しかった。でもなぜか、話しながらもこの人には本当にはもう会えないのだとわかっている感じもあって、現実が半ば交じり合っているような不思議な夢だった。半分くらい起きていたのだろう。

もうお会いできないから恩返しができないけれども、私には今加藤典洋さんについて書く原稿があるのだからそれを全力で書けば少しは返せるかもしれない、起きたら頑張ろう、と思って目覚めると、もちろんそんな原稿などあるはずもない。

打ちのめされたような気分で起き上がり、ぼんやりカーテンを開けると、夏の緑が美しかった。

『小さな天体』を読んでいたのはそもそも加藤典洋さんのことを思い出していたからで、思い出していたのはおそらく、岡井さんの訃報があったからだと思う。私はこれで短歌の恩師と、小説に関して恩を受けた人、いずれも失ったのだな、と思っていたから。

加藤さんとは授賞式で、たった一度しかお会いしていない。でもそれは私にとっては一生の出会いだった。あんなにも温かい方だとは知らなかった。生涯忘れ得ない。こんなところに書くことでもないのだが、夢でお会いしたことだけメモしておく。

 

✳︎

今日、やっと、あるものをいったん書き終えた。予想より長くかかった。半年前に終わるつもりだったのに、全然うまくいかず、なぜうまくいかないのかわからずに苦戦した。

長くかかったものの、もうだめだと思っていた頃のことを思えば、本当によくこんな形に出来上がったなあと感慨深い。

まあ、これが人目に触れるものになるかはまた別の問題だが、ここまでやれば悔いはないな、と今日のところは思った。

明日からは次に向かって新しく始める。楽しみだな。