うみゆり日記(新)

錦見映理子の日記です

最終チェックを終えて

このあいだ、TVをなんとなく観ていたら、恋がしたい、ときめきが欲しい、などと話しているタレントさんたちに対して、高嶋ちさ子さんが「恋は全く必要なし。あれは時間つぶし。あんなものは一度経験すりゃいいの」と言っていました。全くその通り!と大変共感。まあ、その「一度」がどんなものかによって、だいぶ違うとは思いますけれども。

『恋愛の発酵と腐敗について』の刊行が決まりました! 2月14日発売予定。版元のサイトは下記です。ここの「予約する」ボタンを押すと、たくさんの書店のリンクが出てきます。今のところネット書店いくつか予約できるようになっています。(Amazonとか楽天とか)

恋愛の発酵と腐敗について | 小学館

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恋愛の発酵と腐敗について | 錦見 映理子 |本 | 通販 | Amazon

お近くの書店でも、どこでも注文できます。売れないと次が出せないので、どうか宜しくお願いします!!

昨年末に、装幀データを見せていただきました。
シックで、かわいくて、すごくいい。公開を楽しみにしていただきたいです。

本日、雪のなかコンビニに宅配便を出しに行きました。最後のゲラを戻したのです。大きな内容の変更はしていません。全体にわたって、細かく表現を直したりした程度。
久しぶりに紙で読むと、やはり電子版とかなり印象が違いました。読みながら何度か笑ったり。書いているときは必死なのでうまくいってるのかあまりわからなかったけれど、あの人たち、かなり可笑しい。本人にとっては深刻な恋愛の悩みも、客観的にみるとかなり滑稽なものだなというのも、渦中から脱する寸前にわかったことの一つでした。


書き始めた頃、友達にどんなのを書いているの?と聞かれて、「恋愛の話」と答えました。

友「どんな?」

私「だめな恋愛。基本、みんなだめ」

友「それはいいね」

という会話をしたことを覚えています。

しかし、だめってどういうことだろう?たぶん、すてきな恋のときめき、ロマンチック、みたいなことは一切ないよ、という意味だったのかな(友達、よくわかってくれたな)。

 

三十代半ばくらいまでの自分を思い出してみると、今とはまるで別人のように思えたのが、書くきっかけだったかもしれません。

なぜあの頃の自分は、あんなに苦しかったんだろう。なんで男とペアにならなければいけないと思い込んでいたのか。そしてなぜ、選ばれることに喜びを感じていたのだろう?なぜもっと自由に、主体的に生きられなかったのか。好きな人と生きていくことが難しかったのはなぜなのか。
そもそも、あの頃好きだと思い込んでいた、あれは本当に恋だったのか?

そんなことを考えていた頃に、『酵母から考えるパンづくり』という本を読みました。パン好きなら誰でも知っている人気店「シニフィエンシニフィア」の方が、パンの作り方を詳細に書いている本。

人と人が恋におちて何かが起きる。それと、パンを作る過程の発酵が、とても似た作用のように私には思えたのでした。要するに、ただの現象です。ほんの少しのさじ加減で、うまく発酵したり、だめになったりする。恋愛の際にも起きるさまざまな変化の有り様を、書いてみたい。それが「恋発」を書こうと思った動機でした。

最初は、三人の女と一人の男、という設定しか決めていませんでした。
名前や年齢と職業くらい決めて、あとはパン作りの工程を覚えたり、作業順序の一覧表を作ったり、カフェの取材するなど、そっちのほうを熱心に準備しました。

ストーリーはほぼ決めず、書きながら次の章を考える、という流れで書き進めていきました。あっちの方に行きたいな、というぼんやりした方向だけわかってるという感じかな。

なので、書いてみて、へーこうなるんだ、ということばかりで、自分でもびっくりしながら楽しく前半はどんどん書いていきました。ところが後半はかなり苦戦。何度も諦めそうになりながら、時間をかけて書き上げました。

山場に何かが起きることだけはわかっていましたが、それが何なのかがなかなかわからなくて、こうじゃない、ああじゃない、と大量に書いては捨てたような気がします。苦闘、という感じでした。コロナ直前に行った旅行の際に、友達に「もうノイローゼになりそう」と半泣きしたのを覚えています。

諦めなくてよかった。そんな苦戦していた山場が、なぜ突然書けたのか、それはまたいつか、発売後にどこかでお話できたらと思います。

2021年を振り返って

今年ほど、死ぬかもしれないと思った年はなかったような気がするけど、忘れているだけだろうか。東日本大震災の余震に毎日のように襲われていた2011年もそうだったけど、あの頃はこわくて揺れるたびによく泣いていた。けど、今年は泣くこともできなかった。もっと鬱々としていた。こわい、というだけでなく、強い不安を抱えて、少しでもどきどきするような場面にも耐えられないメンタルになっていたらしく、映画を見るのも迷うほどだった。007のカーチェイス程度でしんどかったくらい。私は呼吸器系に軽い持病がある。感染したら死ぬだろうと思ったので、この夏はとにかく人に会わずコンビニ以外出かけることもできなかった。

夏に、病院にも行けず家で一人苦しみながら死んでいったひとたちがいたことが忘れられない。今年の漢字は「金」といわれて、ああ、お金がなくてみんな困った年ってことか、と思ったことも忘れたくない。人生でもっとも人に会わず、ひきこもり続けた夏だった。

秋にワクチンをやっと二回打ち終えて、久しぶりに人と会えるようになった。新刊の発売時期が決まったことを密かに打ち明けた友達とホテルでアフタヌーンティして、楽しすぎて店を出るたびに「帰りたくない」を互いに連発してそのまま別の店に入ってまたお茶する、というのを終電まで繰り返したりした。

そんな今年。記憶に残っていることを、思い出す順に挙げてみます。

・一月から、らじるラボオープニングコーナーが映画から短歌紹介コーナーにリニューアル。一年続いた。

・しかしまさかその後のゲストコーナーも、一年間電話でのやりとりになるとは想像していなかった。かなり無理を強いられた場面も多々あったがなんとか乗り切る。どれだけ大変だったかは誰にもわからないだろう。同番組出演も来春で丸二年。始まったとたん家からの出演になり、ゲストと三人でスタジオで話したことはただの一度きり。このままの状態で続けられる自信はそろそろなくなりそう。

・ラジオといえば、四月から「さくらひなたロッチの伸びしろラジオ」に短歌の講師として何度か出演。こちらも一時間の生放送で、もしらじるラボの経験がなかったらうまくできなかっただろうから、大変に耐えてきて良かった。こちらは常にスタジオに行ける(めちゃくちゃ広いため)のでやりやすくてありがたい。そしてご出演メンバーの歌が毎回びっくりするほど良くて、みんな打てば響くような頭の良さ。やはり芸能人とは選ばれし方々なのだなという感を強くする。

・そして、今年はなんといっても二冊目の小説が出ることが決まったのが一番嬉しいことだった。

これまでの詳細は本ブログにすでにいろいろ書いたので割愛するが、第一稿を書き上げたのは昨秋。それがどうなるのかは一月の段階ではまるでわからず、てちの出演映画「さんかく窓の外側は夜」を観るために立川に行った帰り、小雨のふる寒い中を三鷹で降りて太宰のお墓参りに行き、あなたの名前の賞をいただいた者ですが、次作が今年なんとか出るようにどうかお力添え下さいませんかと本気でお願いをしてきたくらい。

なぜそんなことをしたかというと、Twitterで見かけた某映画監督の方が、小津安二郎の墓参りに行ったら仕事がうまくいくようになって以来毎年お参りしてるみたいなことをつぶやいていたからだ。書き上げたあとはもう、お参りくらいしか私にできることはなかったわけです。

・夏に引きこもって不安だったと冒頭に書いたが、引きこもっていて良いこともあって、それは集中して書く時間が作れること。友達に会えるのは楽しいし大事なことだけれど、率直に言って、書く時間を削ってまで会いたい人はものすごく少ない。

・6月25日(てちの誕生日)にひらめきを得て書き始めた(それまでに下準備はしていた)受賞後三作目の小説を、夏までに半分弱書き、9月末までに終えるつもりが、三分の二までいったところで10月になってしまい、中断。10月末までに岡井隆歌集評を結社誌に書かねばならず、それにかかりきりになる。他にも原稿依頼がこの時期重なってしまい、結局11月半ばからやっと再開。しかしすぐ元に戻れない感じでなかなか進まず、やっと年末にスピードアップして山場を迎えて、イマココ。年内に終えることはできなかったけど、年明け一月中には終わるでしょう。終わらなければ。

・そんなわけで小説に関して総括すると、今年は春に一度、夏にもう一度、『恋愛の発酵と腐敗について』の10月の先行配信に向けて修正を行い、8月中は初校と再校ゲラを読んで赤入れをしながら新作を書いていた。新作は今までより筆力がアップした感覚があるのだが、これが面白いのかはまだよくわからない。そもそも終わってないし。

・なんかもっといろんなことがあったはずだが、こうして書いてみると、やはり思い出すのは小説のことばかり。

・来年2月に出る新刊のお知らせはまた改めて。本が出ることになった結果、暗くてどん底みたいな年だったわりに年末は明るい気持ちになれた。出なかったらどん底のままだったと思うとぞっとする。そんなの紙一重なのだ。また報告がてら、お墓参りに行こうと思う。今度は売れるようにお願いしてこなければならない。売れないと次が出せないのだ。お願いが尽きない。

カンヅメになる

恋愛の発酵と腐敗について 上巻

恋愛の発酵と腐敗について 上巻

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数年来、月の前半に細々した雑務(原稿や短歌講座なども含む)を済ませて、後半は小説を書くことだけに集中する、というスケジュールを組むように努力しています。

しかし昨年から、ラジオの生放送に毎週出るという予定外の仕事が始まったためにそれがうまくできなくなってしまい、お願いして今年からは4週目だけラジオは休みをいただくことにしました。そのおかげでなんとか、毎月後半は小説を書くことに集中できています。

そんなわけで今月も、少し遅くなったけど今日からカンヅメ入りです。別にホテルでカンヅメしてるわけじゃなくて、気持ちの上でカンヅメになってる、と思っているだけですが。(別の場所に移動することもあるけど今回は事情があってできない)

10月は、昨日までずっと短めの原稿や連絡を細々やりとりする必要がある仕事が重なって、全然自分のやるべきことができませんでした。いや、どんな仕事も全て「やるべきこと」なわけですが、極端なことを言えば、たいていの仕事は私ではなくてもできます。私じゃなければできないことはこの世にそれほどなくて、選ばれたごく少数の人のみが、その人にしかできない仕事だけで生きていくことができる。

なので、たいていの人は誰でもできる仕事をしながら、その中でベストを尽くして、少しでも自分らしい仕事をしようとするわけです。

ラジオの仕事もそうしてできる限りのことをしているのですが、不定期で短歌の講師役で出していただいている「さくらひなたロッチの伸びしろラジオ」の短歌回だけは、自分以外の人にはこんな風にはできないかも?と密かに思っています。短歌のことも、ご出演メンバーの一人一人のこともよく知っていて、リスナーの気持ちがわかる(だって私もリスナーと同じただのファンだから)女性の歌人、たぶん私しかいないと思う。

アイドルが短歌を作る必要は全然ないのですが、彼女たちは将来の可能性が無限大なので、この先の未来のいつかのために、芽を出すかもしれない小さな小さな種を埋めるみたいな行為として作歌や指導を考えており、全く手加減せず本気で教えるようにしています。

しかし、こうして短歌について教えることができるのは自分の力ではなくて、二十数年にわたって毎月のように出てきた歌会の場を共有してきた歌人の先輩や仲間、結社の仲間達、いくつもの短歌講座の後任に選んで下さった先輩や各講座の生徒のみなさんたち、等々のおかげなので、自分にしかできないけれども自分の力ではないのでした。

そもそも初めて出た歌会が岡井隆主催の超結社の会で、そんな最前線みたいな場に毎月私のようなどこから出てきたか不明の謎の人間(謙遜じゃなくて事実)が紛れ込ませていただいていたことが、今考えるととんでもないことだったと思う。

あの頃、どこの結社にも入れずに迷ったままひとりぼっちだった私に声をかけて下さった田中槐さんのおかげだけど、私は長い間結社に入れず無所属でいたことを、ずっと、とても不幸なことだったと思っていた。師にめぐりあえずに不運だったなあ、と。しかし今思えば、なぜあんなすごいメンバーの歌会に入れてもらえたんだろう、とんでもなくラッキーじゃないか、としみじみあの頃の岡井さんと未来の先輩達の懐の深さを思うのだった。私だったらやだよ、あんな何にもわかってないやつ(当初)が入ってきたら。

そんなわけで、私の短歌観や読む力などは首都の会に出ていたおかげで養われたものだと思う。だから短歌の仕事に関しては、ほとんど修行と恩返しだと思ってやっている。いただいたものを、少しでも生きているうちに返していく。それができるかどうかが、今は短歌の仕事の取捨選択の基準になっていて、正直に言えば短歌に関しては自分からやりたい仕事はほぼないのだった。歌をたまに、少しだけ載せてもらえればいいな……とちょっぴり思っているくらい。

それより小説を書いて生きていきたい。他には何もいらないのでした。たくさん売れなくてもいいので(いや売れたら嬉しいけどそれはもう私だけの努力ではいかんともしがたいので)、最低限本が出せるくらいの読者に恵まれて、細々とでもいいので本を出し続けられるといいな、と思うのでした。それがどのくらい大変なことかはこの数年でよくわかったので、難しいかもしれないけれど。

とにかく面白くて良いものを書くことのみならず、そうしたものを書いていることを知られる努力もしていかなくてはならないでしょう。

短歌という小さくて狭い(けどとても深い)ジャンルの中に長くいたので、急に広大な世界に出てしばらくは、何がなんだかよくわかっていませんでした。こんなに違う、ということがわかっていなかったのです。校正者だったので出版業界のことはよく知っているつもりでした。でも、実は知らなかった。著者と校正者、当たり前ですが見える景色も範囲も世界も、何もかも全く違いました。新しく目に入る世界があまりに広くて人が多く、どこを見ていいかさえわからなかった。そんなこの二年ほどを過ごして、今年は少しだけ、落ち着いて見えるようになったことがいろいろありました。

見なくていいものも、わかったのかもしれません。

短歌の仕事をどう取捨選択したらいいかというのも、しばらくかなり混乱していましたが、上に書いたように今は自分なりの基準でできるようになりました。

やっと自分を取り戻した感じもあり、そんなタイミングで『恋愛の発酵と腐敗について』が紙の本の前に無料で配信リリースするというプロモーションからゆっくり人目に触れることになったのは、今思えばよかったなと思っています。

初めてのやり方だったので、最初にご提案があった時は、少しとまどいました。

でも、大好きな平手友梨奈さんがCDを出さず配信のみでリリースデビューをしていたり、無料でネット上で期間限定試し読みのキャンペーンをされている小説をいくつも目にするようにもなったりして、なるほど今後はこうした流れが増えていくのだな、と納得できて、OKしたわけですが、当初はとても不安でした。これ、配信だけで終わりだったらどうしよう、と。

それでも、出ないよりはマシです。万一紙の本にならなくても、読んでもらえないよりはずっといい。そのうちいつか、本にしてもらえる機会もあるかもしれないしね。そう思ってお願いすることにしました。暗い性格なので、そのときはかなり絶望的な展望しか描けませんでしたが。

唯一の希望は、担当編集者のHさんが、この小説を気に入ってくださっていたことです。同年代の女性の、経験豊富な編集者ということもあり、とにかく最初の読者になってくださったHさんに、全てお任せしよう、と最終的には決めました。

どん底の気分で決意したわりに、実際リリースされてみたら、三回の連載ものみたいに、反応がいろいろあるのがとても楽しい。見るたびに変動するランキングなんて、配信でしか味わえない面白さです。リリース以来、無料も有料もランキングの上のほうにずっと入っていて、本当にありがたいし嬉しい。

せっかくなので、このAppleBooksのプロモーション期間を楽しもうと思っています。

よかったら、今のうちに無料の上巻だけでも試し読みしてみてください。

恋愛の発酵と腐敗について 上巻

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#恋発、中巻がリリースされて

(#恋発 というハッシュタグを『恋愛の発酵と腐敗について』の担当編集者の方が考えてくださいました。これでSNSで拡散したいですねって。早速ブログで使ってみる)

正直、有料の中巻以降はほとんど読まれないだろうと思っていました。

有料の全体ランキングは200位まで見られることをリリース前夜に確認して、この中に入るのはとても無理だな、ビジネス書とか雑誌もあるし、と思いながら寝て、翌朝開いてみたら、全体の2位になっていました。小説部門は1位。

どういうこと??とびっくり。

たぶんこれは、上巻を読んで、予約しておいて下さった方が多くいらしたということだと思います。

(T^T)←泣いてる

本当にありがとうございます。

私だったら紙の本が出るまで買わないと思う。そもそもスマホで読むとかしないと思う。だから本当に本当に、ここまで読んで下さった全ての方に感謝しています。

実は家族もほとんど私以外iPhoneじゃなくて、親しい友人もなぜかiPhoneが少なくて、周囲の人からの感想がほとんど届かないのです。

そんな中、友人に知らせたよ、とか会社の人に話したよ、とか言ってくれる友だちがいました。すごく心強かった。ぼんやりした不安の中にいるのでことさら。

「恋愛」という言葉から、ロマンチックラブ的なものを期待して読んでみたら全然違うじゃん、とがっかりする人いっぱいいるだろうな、とかすごく思っていましたし、今もそう思ってる。

でも、ごく少数でも、笑ったり泣いたりいろんな気持ちになりながら読んで楽しんでいただける方がいるといいな、と祈るように思っています。

とうわけで感謝とともに、今日は裏話を少し。

『恋愛の発酵と腐敗について』というタイトルは、修正も含めて書く作業が全て終わってからつけました。

書いている最中は、タイトルまで考える余裕が全くなくて。仮タイトルはあったのですが、それにちなんだ場面を削除したために使えなくなりました。

担当編集者の方から、タイトルどうします?強めのが欲しいです、というようなことを言われたので(確かその頃には配信でのプロモーションをすることは決まっていました)、40個くらい考えて送りました。タイトルをつけるの、あまり得意ではありません。途中、もう誰かにつけてもらおうかしら、と逃げそうにもなりました。

本当は100個候補を出そうと思っていたのに、半分もいかずに力尽きました。40個の中から編集者のHさんが選んで下さったのは一つだけ。それは自分でもぴったりきていたので、わりとすぐ決まりました。

実は「恋愛の発酵と腐敗」というのは、書き始めるずっと前の、まだ登場人物さえぼんやりしていた段階に、キーワードとしてノートに書いていた言葉です。

その頃は、なぜか熱心にプロ向けのパンの作り方の本を読んでいました。発酵についての説明や、パンができる工程についての文章が、全て恋愛についての話のように、その頃の私には感じられたのです。

どうしてその本に出会ったのかは忘れてしまいましたが、恋愛小説を書きたいと思っていろいろ探っていたのだと思います。パン屋さんを出そうと思ったから読んでいたのか、読んだからパン屋が出てくることになったのかは忘れましたが、前者かも。

恋愛にもいろいろありますが、とにかくだめな人たちを書きたいと思っていたことを覚えています。恋をしているだめな人たち。ロマンチックではない、ろくでもない恋を書きたかったんですね。「恋愛」ってなんだかすてきな言葉、みたいなイメージが嫌だったのかもしれません。

しかし次第に書くうちに、これは恋なのか?という疑問が膨らんでいきました。どれもこれも、本当に恋なんだろうか? そもそも恋って何なのかな、と。

それなのにタイトルに「恋愛」が入るとはなかなか皮肉なものですが、たぶんもう私はこうした、恋のようなものにはまりこむ人が出てくるものを書くことはないような気が、今はしています。

わからないけど。

次も早く完成させたいな。ずっと書いていけるのかはわからないけれど、いつかずっと先にまた恋のようなものについて書きたくなったら、今回の小説とはまるで別のものになるのでしょう。今しか書けないものを惜しみなく書いていきたいと思います。

最近のことなど

『恋愛の発酵と腐敗について』の今後の配信スケジュールを書いておきます。

中巻が10/15(金)、下巻が10/29(金)にそれぞれAppleBooksで限定配信予定です。

楽しみですね!(自分で言っていくスタイル)

中と下を読むのはお金がかかりますが(でも安い!)、上巻だけはしばらく無料なので、とりあえずダウンロードだけでもしていただければと思います。

iPhoneもiPadもMacも持ってねーし!という方は大変申し訳ないのですが、しばしお待ちください。その間に、情報拡散にご協力お願いします。そうすると、読める日が来るかもしれませんので。

あと、紙の本が出るまで待つからいいや、という方もおられるでしょう。うん、私だったらそうするかも。また、Kindleならともかく、スマホで読むのはちょっとな、という方。わかります。めちゃくちゃわかります。そうでしょうとも。

し・か・し!

紙が出るのはいつになるかわかりませんぞ。しかも、今なら無料なんですよ早苗さん。パート帰りにお茶飲みながらスマホで読めますよ。え、早苗さんて誰かって?早苗さんはですね、『恋愛の発酵と腐敗について』に出てくる登場人物の一人で、これは今さりげなく宣伝しようと無理しているんですね。早苗さんは、主人公の万里絵の喫茶店の常連客なの。危なっかしくてさあ、この女が。まったく大丈夫かねって感じなのよ。ちょっと様子みてやってくださいよ。

と怪しい文体になっちゃうほど、お願いしにくいこと山々なわけですが、まあ上巻だけでも落としてくださいね。無料なんで(しつこい)。すぐ読まなくてもいいですしね。

こんな調子で(どんな?)、新作のことも織り交ぜつつ、しばらくはブログをなるべく更新していこうかと思います。

この3ヶ月は、次の書き下ろし小説を書いていた。いま250枚ほど。終わらせるにはあと50枚は必要だが、ここまで来れば終わらせることはできそう。

今月はいったん小休止。別の仕事を一つ終わらせないといけないので。

それと共に、岡井隆に向き合う月にしようと、やっと、昨年亡くなって間もなく特集が組まれた雑誌などを読み始めた。

この1年ずっと読まずに避けていた。
いろいろ読むと、折々涙がにじむのに驚く。亡くなってから、明らかに泣いたことがなかったので。正直、岡井さんがいないということが、まだどういうことかわからない。なんとなく、嘘かもしれない、と思い込もうとしている節もある。しのぶ会までやったのにね。

でもあれは配信だったから。実感することはできなかったと思う。

ただ、しのぶ会が終わったら、急に歌会に出る気力が3、4か月くらいなくなった。なぜかはよくわからない。

小説だけは何があろうとずっと書いていた(または書こうとしていた)。私は小説を書くようになって以来、その時間以外は幸福を感じられない病気にかかっているような感じなので、幸福になりたくて必死だった。うまく書けないとかなり暗い気持ちになってしまうので危ないのだが。

とりあえず、この三ヶ月は書き下ろしにとりかかっていたおかげで概ね幸福だった。うまくいくのかという不安はもちろんずっとあるけれど、予想以上にちゃんと書き進めることができて、しかも今まではできなかった方法で初めて書いているので、なぜできるように?と自分でもびっくりしている。

次に書きたいテーマもぼんやり決まっている。早くこれを仕上げて、次を考えたいな、とわくわくしている(たぶん実際トライしてみたらうまくいかなくてブルーになったりもするんだろうけど)。 

そんなこの頃ですが、今書いているのが出来上がったとしても、本になるかはわかりません。でも、そもそも自分の書くものの運命は誰にも知り得ないものなのだから、そんなことはどうでもいいのです(いや全然よくはないけど)。

大事なのは、いいものを書いていると自分が感じられること。生きていると感じられるのは書いているときだけなので、そうするしかないのです。

もしも書いても全然幸福を感じられなくなったらやめればいい。誰にも望まれていないということは、自由ということでもあるのですから、誰にも認められずに死んでいったエミリ・ブロンテのように、自分だけが自分の書いたものの価値を知っていればいいのかもしれません。

だけど、先週の金曜日に、誰も読んでくれなくても無料だから落としてくれればいいな、とリリースのお知らせして以来、読んで下さった方がぽつりぽつりと感想を呟くのを目にし、今日はレビューが書いてあるのも見つけました。びっくりです。もはや作品は私の手を離れて自分のものとは思えないのですが、それでもうれしい。あの小説の万里絵や早苗さんたちのことを、自分以外の人にも知ってもらえてよかったです。

この数日でいち早く読んで、それを伝えて下さった方、本当にありがとうございます。
書いている時以外にも、幸福はあったんだ。

『恋愛の発酵と腐敗について』先行配信リリース

久しぶりにブログを書いているのは、お知らせがあるためです。

昨年書いた小説が、一年がかりでやっと世に出ることになりました。しかも、思いがけない形で。

先行配信リリースです!!

AppleBooks限定で、先行配信をしていただけることになりました!

10月1日に「上」、続いて2週間おきに「中」、「下」と三回に分けてリリースされます。しかも、初回は無料です!途中までですが、タダで読めます!じゃんじゃん落としていただきたいです。

AppleBooksはiPhoneiPadMacなどには最初から入っていますが、アプリはこちらからどうぞ→ 「Apple Books」をApp Storeで

(追記・残念ながら、Androidだとアプリ対象外らしいです)

ブックストアの「限定先行配信」のボタンを押すと、『恋愛の発酵と腐敗について』という本がすぐ見つかるはずです。

アプリが入っている方のリンクはこちら

では、とりあえず落としてきてください!続きはその後で!

デジタル版の表紙、ご覧になりました?

めちゃくちゃすてきですよね?
装幀は名久井直子さん、装画は箕輪麻紀子さんです。

表紙にいる女性は、主人公の万里絵です。彼女はある事情から会社員を辞めて、夢だった喫茶店を開きます。
しかしそこへ、変な客がやってきて、サンドイッチを注文。食べるなり、くそまずい、と吐き捨てて、出ていってしまうのです。
その男(パン屋さん)を中心に、常連客のスーパーのレジパート早苗さんと、男と深い関わりのあるスナックのママ伊都子さん、万里絵を好きになってほぼ毎日店にやってくる向かいの酒屋の三上さん、などなど商店街の面々が好きになったりなられたり、逃げたり逃げられたりのサバイバルを繰り広げる恋愛ストーリー、と思いきや、話はなんだかとんでもない方向に……

というようなお話です。おいしそうな食べ物もいろいろ出てきます。

前作『リトルガールズ』も恋愛小説を書いてみるつもりが全然違う話になりましたが、こちらも結局恋愛小説なのか何なのか自分ではよくわかりません。

どうかお読みいただいて、これが何なのか感想をお寄せいただいたり、SNSでつぶやいたり、お友達にすすめたり、していただければ本当にありがたいです。

年内は紙の本のためのプロモーション期間なのですが、まだその後の予定はわかりません。

なので、反応が全然なかったり、ダウンロードされなかったりしたら、紙の本が出ないのかもしれない、と作者としては今とても不安なのです(こわくて今後の詳しいことを聞いていない)。

無料で落とすだけで応援できますので、どうか宜しくお願いします!!

書き上げてからこうしてリリースされるまでに一年近くかかったのは、コロナウイルスの影響がありました。まだ新人で知名度の低い私は、できるだけ多くの書店にたくさん置いていただいて人目に触れる機会を増やし、本を手にしていただくことが一番大事なわけですが、それがいつになれば期待できるかわからない状況が続きました。
正直、昨年末に書き上がった時、やっとできてうれしいという気持ちと共に、一抹の不安が過ぎりました。これ、最悪のタイミングで出来たんじゃないだろうか。

昨年の4月頃に、著名な小説家の方がYouTubeで、今年はもう本を出してもらえないかもしれない、こんな状況になったので制限があって、みたいなことを話しているのを見てもいました。この方が出してもらえないってことは、私なんか、百パー無理なんじゃね?

しかしとりあえず、書くしかありません。

そうして昨年秋頃に書き終えたものを、以前お声がけいただいた小学館の編集者Hさんに読んでいただきました。すぐに、すごく面白い!という嬉しい反応がありました。

ところがやはり、タイミングが最悪なので少し待ちましょうということに。そして待っても待っても、ますます状況は悪化する一方。

しかし絶望的な状況のなか、事が動きました。版元の皆様のご尽力で、配信によるプロモーションを開始していただける運びとなったのです。

こういうプロモーションに憧れていたので、審査が通ったときはとても嬉しかったです。けっこう厳しいから通るかわからない、と言われていたので、半ば諦めていました。

本当に嬉しいです。

すぐ読まなくていいから無料のうちにとりあえず落としといてよ、と誰にでも気軽に言えるのも嬉しいです。(まあ読んでほしいけど(;^^)ヘ..

無料で落とせる期間は三ヶ月くらいらしいので、今のうちに入手してください。そして読んで、もし続きが気になったら中と下も買ってみてください。合計しても紙の本の半額くらいで買えますので。

宜しくお願い致します。

 

誕生日なので、

のんびりブログを書いてみます。

去年の今頃を思い出してみると。感染者数がじわじわきてて、ちょっとこわくなってきた頃だったと思う。それで、温泉でのんびりしようかなとか都心の高めのホテルに一人で泊まろうかなとか、探していたのをやめた覚えがある。友だちとお祝いディナーには行ったけど、店に二組しか客が居なかったのも覚えている。

それから一年経った今。食事にはもちろん行けないし、メンタルが去年に比べてずっとダウンしていて、何かしたいとか買いたいとかも特に思わないのであった。

ゆううつが深まっている。知らないあいだにどんどん。

 

しかし、嬉しいことももちろんある。

『めくるめく短歌たち』が某私立中学の入学試験に使われたこととか。

藤田千鶴さんの第二歌集について書いた文章がまるごと使われていて、もちろん藤田さんの歌も載っており、設問には「藤田さんは」「藤田さんが」と名前が連発されていて、面白くてすぐ藤田さんに見せる。

藤田さんから、これ子どもにはかなり難しい問題では?とLINEがきたのでやっと気づいたが、中学入試ということは、小学生が解くのか!

『リトルガールズ』が去年高校入試で使われたから、これもなんとなくそう思いこんだが、中学だった・・・。12歳の子にはかなり難しそうな設問もあり。自分で解いてみたら、意図がクリアに読解されていることがわかって、とても良い先生が作ってくださったのだなと感じた。もしかして歌人だったりして。国語の先生の歌人、多いから。

 

誕生日当日には、オタク友だちからハーゲンダッツのギフトをいただいたり。

ゆうべは、友だちとラインのビデオ通話しながら嫌な作業(確定申告)をもうやりたくないとかつらいとか言い合いながらやっている最中に、日付が変わりそうなことに気づいた友だちが「あっウクレレ!」と急に弾き始めて、8日になった瞬間ハッピーバースデーを歌ってくれた。(以前にも歌ってくれたことをエッセイ集に書いたので読んだ人は知っていると思うけど、何年ぶりかで弾いてくれたのだった。嬉しかった。)

やりたくないタイプの手作業を、友だちとラインでしゃべりながらやるとだいぶ気が紛れて嫌さが半減することがわかったので、このところ毎晩そうしてなんとかやっているのであった。おかげで終わりが少しだけ見えてきた。

今日は午前中打ち合わせのため久しぶりに都心の某所に行き、一時間半ほど話し合ってから帰宅。休憩してから歩いて映画館まで行き、タイトルがひどいけど話題だし知っている名前も多数出てくるらしいから、「花束みたいな恋をした」を観てみた。自分にとって恋だと思う場面は一秒もなく(じゃあ私が恋だと思うのはどういうもの??)、しかし脚本技術はすごいので観なければよかったなとは全く思わない。いろんな意味でなるほどと思いながら夕食を買って、帰ってきた。友だちからムーミン切手を貼った誕生日メッセージが届いていた。

てちが出ているハーゲンダッツのCM、ゆうべやっとテレビで観ることができた。姿がかわいくてきれいなのはもちろんだけど、声がやはりとても好きだと思う。いろんなことを感じさせる声だ。声って、精神が乗ると思う。でも全ての人が乗せられるわけでもない。

対してラジオに出ている自分の声を聞き直すたびに、こんな子どもみたいな声なの?とびっくりするし、嫌になるのであった。いつもあんな子どもっぽい声なのか?? だいぶ、相当な、大人なんですけど。話している内容だって大人だと思うんですけど。あんな声じゃ、内容まで子どもっぽく聞こえるんじゃないかと心配。

もうすぐ生放送のラジオに出るようになって一年。最初のお試し版のときは、台本もろくに見る余裕がなく、何がなんだかわからないまましゃべっていたけど、今考えるとよく大丈夫だったな。昨日テレビ観ていたら、たまたま、あのときゲストでいらした井上あずみさんが歌ってらして、もう一年経つのだなとしみじみ思った。そのあいだに書いたもの、いまだ世に出ないまま、どうなるかいまのところ不明。なんとかなってほしい。コロナが早く落ち着いてほしい。

【今日の占い】誕生日なので拙著を買ってくださるといいことがあるかもしれません。または感想をSNSに書いてくださると吉です(๑˃̵ᴗ˂̵)

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